1/15/2008

想出葬

寒さで始まった3連休。風邪が完治しない状態だったが僕は再び和歌山に行った。今回は兄と一緒に、実家の片付けをすることが目的だった。そんなことなら、年末年始休みでやっておけばと思うのだが、いろいろな都合や気分でこうなってしまったのだ。

3連休初日の土曜日の夕方に和歌山に入り、日曜日と月曜日は日中かなり精力的に片付けをこなした。といっても、昭和一桁生まれの夫婦25年間(母親は17年間だが)の生活が染み付いた家である。ものを捨てない捨てられない彼等が遺してくれたものがぎっしりと家のあちらこちらに詰まっている。

細かいことを言い出すときりがないので、明らかなガラクタは最後に業者の人に任せるとして、今回はそうした人の手が入る前に、自分たちの手で判断しておきたいものの整理に着手することが目的だ。手紙や書き残したもの、写真、僕達の成長の記録などなど、それでも想い出は次々に湧いて出てくる。

火曜日には二人とも仕事を休み、その日はレンタカーを借りてそうしたものを袋にまとめて市のゴミ処理施設に直接持ち込むことにした。袋の数は36にもなった。大型ワゴン車の荷台一杯である。市のゴミ処理施設を訪れたのは今回が初めてだったが、大きな深いゴミのプールに向けて斜面をつけた投入口が7つくらい並んでおり、持ち込み処分にやってきた車両がそこに順番に誘導されてゴミを投下してゆくのだ。

ゴミと一緒にしてはいけないとは思うのだが、僕にはその光景が火葬場のそれとだぶって見えた。もちろんこちらはいかにも処分場という感じでかなり雑然としている。いろいろな騒音が飛び交い、ゴミ特有の臭いも十分に漂っている。それでも僕らがそうした袋を投入するたびに、斜面を転げて深い穴に落ちてゆくゴミを視ている一瞬は、そうした雑然のいろいろなものが消えて真空の時間の様に感じられた。

こうした作業は非常に身体に応えるものだ。荷物をまとめたり運んだりといろいろな作業を続けたおかげで、久々に腰が痛くなってしまった。

整理の過程で、僕の高校時代の写真が何枚か出てきた。僕にとってはどう考えたらいいのかなかなか難しい時代である。世間一般の感覚からすると、あまり充実した高校生活ではなかったのかもしれない。それでも忘れかけていた当時の日常を、それらの写真は鮮明によみがえらせてくれた。一緒に映った友人達は、ほとんどいまでは連絡すらとっていない人ばかりである。みんな元気でやっているのだろうか。

慌ただしかった年明けもようやくこれで一段落である。今週は残り3日間を勤め上げ、週末はのんびり過ごしたいと思っている。

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