1/26/2008

スティーヴ=コールマン「ブラック サイエンス」

 暖冬で雪がまったくと言っていいほど降らなかった昨冬の記憶を、今年の冬は見事に忘れさせてくれそうだ。この1週間は毎日都心でも真冬日が続いている。特に週の後半は最低気温が川崎でも0℃前後。金曜日の朝、会社のトイレの窓から見える空き地にできた水たまりに張った氷は、結局一日中融けることはなかった。

その日の夜、宇宙飛行士で学者のアニリール=セルカンという人の話を聴きに、銀座のアップルストアまで出かけた。定期的に開催されているクリエイティブ向けセミナーの特別版として行われたもの。セルカン氏の経歴等についてはネットの情報を参照されたい。

とにかく若くしていろいろな分野にはっきりと才能を開花している人だ。冒頭で自分の平均体温が37度台であることについて触れ、医師からは重い病気にかかれば命に関わるかもしれないと警告されていることを明かした。彼の能力やそのスピードの理由はおそらくそこにあるのだろうと感じた。

僕は今回の件で初めて彼のことを知った。非常に限られた時間ではあったが、何か自分の考え方とか感性のツボを刺激してくれたお話だった。真理の追究と商売の両立はここ数十年間でずいぶんと難しくなった。おそらくは商売が独り歩きするようになったことがその原因だろう。話を聴き終えた僕はそんなことを考えた。

このところ嫌でも目から耳から入ってくる「環境にやさしい」とか「エコ」というキーワード。もちろん基本的な姿勢や生き方として意識するようになることは重要だ。だけどそこにはまた困った一面があることも事実だ。いかがわしいこともずいぶんと目立つようになってきた。余計なものを使わないこと、そして何よりも余計なものを作らないこと。これはモノに限ったことではない。しかし、この「余計なもの」というのが難しいのだと思う。

久しぶりに降りた有楽町の駅。新しくできたマルイなどがあって景色はだいぶん様変わりしていた。ここ数年、よほどのことがないと銀座には来ない。いろいろなお店はあるのだろうが特に必要を感じない。街はとても寒かったが歩いている人は思い思いに着飾っていて、その辺りはやはり銀座だなと感じた。僕にとっての銀座はお金を使う街ではなく、他人の経済の繁栄を観察する街だ。

iPod touchのプログラムアップデートを購入した。Google Mapをはじめとするいろいろな機能が追加されるというもので、メイン画面にボタンが増えて賑やかになるという象徴性にひかれて購入したのだが、結局のところ僕にとってはあまり有用なものではないということがわかった。そもそも無線LANがもっと街中で当たり前のように使えればもう少し使い勝手も変わるのだろうと思うのだが。最近になってアップルの仕事に少し粗っぽさが垣間見えるようになってきたと思う。

前回からコールマンつながりになるが、今回はスティーヴ=コールマンの1991年の作品を紹介しておく。

彼は1985年の初作以降、ほぼ1〜2年に1枚の割合でコンスタントにリーダーアルバムをリリースし続けている。6枚目にあたる本作は変拍子ファンク路線の一大傑作である。スリリングな展開はドラムのマーヴィン=スミッティ=スミスと、ギターのデビッド=ギルモア(ピンクフロイドの彼とは別人です、念のため)に負うところが大きい。カサンドラ=ウィルソンやデイヴ=ホランドなど僕の好きなミュージシャンがゲスト参加しているのもお気に入りの理由である。

久しぶりに聴いてみると、最近の作品と比べても彼の音楽の底流にあるスタイルはほとんど変わっていないことがよくわかる。こうして彼の世界にハマるとまたしばらくは彼の音楽が僕の耳でなり続けることになる。まあ別に悪いことではないのだが。ともかく実際のライヴパフォーマンスを存分に体験したいものだ。

なお本作を含めたコールマンのアルバムは、最近のものを除いてほとんどが彼のサイトからMP3ファイルが無料でダウンロードできるので、興味のある人は落としまくって聴きまくろう。本エントリーのアルバムジャケット写真からジャンプできる。

タイトルの「黒い科学」とは、黒人音楽の本質に対する彼の姿勢を表したものだと思うが、アップルストアでセルカンの話を聞いた僕には、それがまた別の意味にとれて不思議な取り合わせを感じた。世の中にある他者が動き、それに対応して自分の感覚が変化し考えが変わり行動が変わっていく。それを素直に楽しめる人生でありたい。

1/21/2008

オーネット=コールマン「サウンド グラマー」

 実家に続けざまに帰ったり、風邪をひいたりと落ち着かない新年のスタートだったが、この週末はようやく少しのんびりすることができた。まだ少し咳や鼻水が出たりするものの、おおむね体調は普通に戻り、お酒もおいしく飲めるようになった。

先週末の金曜日、会社の同僚と妻の3人でオイスターバーに出かける予定で楽しみにしていたのだが、同僚が体調を崩したこともあって延期になってしまった。夜の予定を2人揃って空けていたので、どこかで食べて帰ろうということになり、中目黒の東急高架下をウロウロしてみた。

いくつか候補を見つけたのだが、結局は店先に出ていた「もつ鍋」の赤い幟にひかれて、「大樽」という居酒屋に入ることにした。このお店、安さではかなりの有名店らしい。僕らが入ったのは東横線の東側にある別館だった。奥のさらに奥にあるテーブルに陣取り、コロッケや串揚げ盛り、もつ鍋などを注文して酒を飲んだ。

とにかく何を頼んでも安いしうまい。一番の驚きは僕の好物である熱燗が1合150円でいただけること。これには唸ってしまった。結局、2人でそこそこ食べて飲んで勘定は2900円だった。ありがたい。やっぱり値段は大切だ。

ずいぶん伸びてしまって年末にたまらず自分で少し切った髪をきれいにカットしてもらい、染めてもらうことにした。本当はこぎれいにしてもらってから渋谷に出かけたかったのだが、担当者が忙しく、買い物と散髪が逆になったのが少し惜しかった。

年始からほとんどまともに音楽を聴いていなかったので、耳が少し音楽に対して照れてしまったような感じだった。こういうときは少し何を聴いてみたいのかわからなくなる。それは音楽に対する感覚が真新しくなるときでもある。こういう時、僕は決まってオーネットの音楽を選ぶ傾向がある。たまたまiPodに入っていた中から選んだのが今回の作品。一昨年の3月に観た来日公演と同じメンバーによる2005年のドイツでのライヴ盤である。

2本のベースと息子デナードのドラム、そしてオーネットという4人編成のユニットは、彼がたどり着いた究極のカルテットである。変幻自在のリズムに乗ってオーネットがくねくねと音の曲芸を披露する。何の混じりけも難しさもない、開かれた自由な音楽がある。少し遅れてしまったが僕にとっての音楽の2008年はこれで幕を開けた様な気がした。

オーネットの音楽に触発されてか、渋谷では久しぶりに3枚のCDを買った。うち2枚は電子音楽。タワーレコードで試聴して選んだ。こういう音楽は少し落ち着いてじっくり聴く必要があるが、僕の心はそういう音を求めた。またそれらの紹介はいずれこのろぐで取り上げてみたい。

昨年に比べれば今年はかなり冬らしい気候だ。今日月曜日も朝晩はかなり寒かった。久しぶりに参加した会社の会議はそんな気候に輪をかけてお寒い内容で、それが一番心身にこたえた。テレビのニュースでは、景気の先行きについて誰かがほとんど意味のないコメントを話しているのが映っていた。

自分の目標を見失わず、周囲を意識しつつも、少しずつそれに向かって進めるように。今年も楽しい年にしたい。オーネットを聴きながら僕はようやくそんなことを考えていた。

1/15/2008

想出葬

寒さで始まった3連休。風邪が完治しない状態だったが僕は再び和歌山に行った。今回は兄と一緒に、実家の片付けをすることが目的だった。そんなことなら、年末年始休みでやっておけばと思うのだが、いろいろな都合や気分でこうなってしまったのだ。

3連休初日の土曜日の夕方に和歌山に入り、日曜日と月曜日は日中かなり精力的に片付けをこなした。といっても、昭和一桁生まれの夫婦25年間(母親は17年間だが)の生活が染み付いた家である。ものを捨てない捨てられない彼等が遺してくれたものがぎっしりと家のあちらこちらに詰まっている。

細かいことを言い出すときりがないので、明らかなガラクタは最後に業者の人に任せるとして、今回はそうした人の手が入る前に、自分たちの手で判断しておきたいものの整理に着手することが目的だ。手紙や書き残したもの、写真、僕達の成長の記録などなど、それでも想い出は次々に湧いて出てくる。

火曜日には二人とも仕事を休み、その日はレンタカーを借りてそうしたものを袋にまとめて市のゴミ処理施設に直接持ち込むことにした。袋の数は36にもなった。大型ワゴン車の荷台一杯である。市のゴミ処理施設を訪れたのは今回が初めてだったが、大きな深いゴミのプールに向けて斜面をつけた投入口が7つくらい並んでおり、持ち込み処分にやってきた車両がそこに順番に誘導されてゴミを投下してゆくのだ。

ゴミと一緒にしてはいけないとは思うのだが、僕にはその光景が火葬場のそれとだぶって見えた。もちろんこちらはいかにも処分場という感じでかなり雑然としている。いろいろな騒音が飛び交い、ゴミ特有の臭いも十分に漂っている。それでも僕らがそうした袋を投入するたびに、斜面を転げて深い穴に落ちてゆくゴミを視ている一瞬は、そうした雑然のいろいろなものが消えて真空の時間の様に感じられた。

こうした作業は非常に身体に応えるものだ。荷物をまとめたり運んだりといろいろな作業を続けたおかげで、久々に腰が痛くなってしまった。

整理の過程で、僕の高校時代の写真が何枚か出てきた。僕にとってはどう考えたらいいのかなかなか難しい時代である。世間一般の感覚からすると、あまり充実した高校生活ではなかったのかもしれない。それでも忘れかけていた当時の日常を、それらの写真は鮮明によみがえらせてくれた。一緒に映った友人達は、ほとんどいまでは連絡すらとっていない人ばかりである。みんな元気でやっているのだろうか。

慌ただしかった年明けもようやくこれで一段落である。今週は残り3日間を勤め上げ、週末はのんびり過ごしたいと思っている。

1/07/2008

かぜ早々

年末年始は和歌山と広島へ里帰り。といっても、和歌山にはもう誰も住んでいない実家とお墓があるだけだ。

和歌山ではお墓参りを済ませ、妻と恒例の和歌山駅地下の「酒処めんどり亭」へ。いつもと変わらぬ串揚げに舌鼓をうつ。1本百円の安さからはとても信じられない新鮮な味が魅力だ。

翌日は実家の片付けを少し。父や母が溜め込んだいろいろなものを少し整理した。妻は先に広島に向かい、僕はもう一泊していつもの幼なじみの2人と、生まれ育った場所に近い有田の居酒屋で年の瀬の忘年会をしてもらった。

お店は海に近い場所にあるのに「山小屋」という名前のところ。いろいろな海の幸がおいしかったが、珍しかったのは「石鯛」。磯釣りマニアには憧れの獲物だ。気を抜いて挑むと糸が切れたり、竿が折れたり、場合によっては釣り人が海に引き落とされることもある、波の荒い磯に生きる荒くれ者だ。今回は煮付けをいただいたのだが、身がものすごく締まっていてとても美味しかった。お店の人は「皮が最高」といっていたが、厚さが3〜4ミリほどもあり、これはおそらく焼いて食べた方がいいのだろう。

大晦日に広島に向かう。新幹線が空いていなかったので、カード会員のポイント特典でグリーン車に乗った。乗り心地はいい。時間が短かったのがもったいなかった。広島では兄のマンションに妻もやってきて、3人で年を越した。義母が年越しそばやらいろいろなおかずを用意してくれたおかげで、楽しい年越しになった。

新年は妻の実家と広島の市街で過ごした。妻の実家は義妹の2人の子供たちも来ていてかなり賑やかだった。毎朝毎晩たくさんの食べ物を出してくれたが、生活のペースは完全の子供達のペースである。普段はおとなしいらしいが、おじいちゃんおばあちゃんの家となるとまあそうはいかない。

広島滞在中にお好み焼きのお店に2件行った。新天地にある「へんくつや」と広島駅内の「みっちゃん」。いずれも有名店らしいが、後者は駅にあるお店だったからか、味がわざとらしく感じられた。それが人気の秘密だとしたらやや残念だ。広島駅でお好み焼きを楽しむなら、新幹線の駅ではなく、在来線の側にある駅ビル「ASSE」の2階にあるところがよさそうだ(これはあとになってわかった)。

そんなこんなで6日間家を空けて戻って来たのだが、2人ともどうやら体調をくずしてしまい、新年早々から風邪をひいてしまった。インフルエンザではないようだが今回の風邪は意外にしつこく、結局2人とも仕事始めの今日は揃って会社をお休みしている。僕はいつものように肩の張りからのどに来てしまい、38度近くまで熱が出た。今朝になって平熱に戻ったものの、喉はまだ腫れている。

というわけで、帰省疲れから風邪をひいてしまった新年の幕明けとなってしまった。今年で実家の整理を済ませたら、来年からどういう風にお正月を過ごそうかなと少し考えてしまった。僕の理想は、特に何もせず何かやりたいことを一生懸命やって、気がついたら年が明けてたというもの。そこでじゃあお祝いだといってお酒を飲む。その後は海でも眺めてのんびり過ごす。そんなお正月がいい。

このろぐも5年目に入ります。まだしばらくは続けるつもりですので、本年もよろしくお願いします。