12/24/2007

クリス=ポッター「フォロー ザ レッド ライン」

 3連休のクリスマス。初日は空模様がイマひとつだったものの、あとの2日間はいい天気に恵まれた。日曜日には茅ヶ崎の街に出かけ久しぶりに湘南の海を眺めた。自転車にボードを乗せて浜までやって来るサーフィンを楽しむ人たちがうらやましく感じられた。やはり今度住み変えるなら僕は海のそばに移りたい。

iPod touchを買ってからこれで音楽映像を視るのが楽しくなってしまい、主にジャズ関係の安い輸入DVDを買ったりしている。今月だけで5枚買ってしまったのだが、「へえ〜そんなDVDがあるの」と感心して取り寄せてみたところ、何のことはない、日本などで放映されたテレビ映像を、そのままディスクに焼いた海賊盤だったりするものが多い。いけないこととは知りつつ、貴重な映像なので楽しんでしまう。

それとは別に、押入れに長らくしまってあったVHSテープを引っ張りだしてきて、少しずつDVDレコーダで焼き直す作業にも着手している。20本ほど残してあったテープにはジャンルを超えたいろいろな音楽が入っている。正規に売られたものもあれば、中古で買ったもの、テレビ放送を録画したものなど様々だが、いまとなってはどれも貴重なものばかりだ。この3連休でディスク5、6枚分の映像がデジタル化された。

最近になってデジタルで収録された映像は非常に鮮明だが、ビデオテープの映像もそれはそれでいい味を感じさせてくれる。我が家には大画面の薄型テレビはないが、それでもその差は歴然としたものを感じる。でも僕はアナログの映像作品でDVD化されているものを買おうとまでは思わない。やはり音楽が主役だからだと思う。それにiPod touchの小さな画面で楽しむのなら、その差は問題にならないと思っている。絵があるのとないのとではだいぶん印象は変わってくるが、それがデジタルかアナログかは良し悪しや好き嫌いには関係ない。

というわけで今月はちょっとした映像ラッシュになっている。CDは既に書いた通り12月になって枚数にして100枚ほどを処分した一方、新たに購入したのは3枚だけだった。今回紹介するのはそのうちの1枚である。そしてこれがおそらくは2007年最後の紹介作品になる。

クリス=ポッターはマイケル=ブレッカーとボブ=バーグ亡き後、現代のジャズサックスシーンで最も重要な演奏家の一人である。1971年生まれというからまだ36歳であるというのに、これまでの演奏経験は既に相当なものである。最近では、僕が尊敬する大好きなベーシスト、デイヴ=ホランドのグループで長らくフロントを努めている。その一方で、自身のグループでも活動をしアルバムも出しているのだが、僕は何故かいままで彼のリーダー作を買ったことがなかった。

この作品は2007年の2月に、ニューヨークのジャズクラブ「ヴィレッジヴァンガード」で収録されたライヴ盤である。最近、ホランドのグループに参加しているドラムのネイト=スミスは知っていたが、エレピとギターの2人、クレイグ=タボーンとアダム=ロジャースは初聴だった。なんとこのグループにはベースがいないのである。そしてこの4人が新しいジャズをたっぷりと楽しませてくれる。収録作品は1曲を除いてすべてクリスのオリジナルだ。

当然のことながら4人のテクニックは凄まじい。加えてやはり現代の演奏家らしく、ジャズ以外にもいろいろな音楽のエッセンスを随所に感じる。ライブ演奏独特の熱気も手伝って、音楽に引き込まれていく開いた口が塞がらないような見せ場(聴かせ場)がどのトラックにもしっかりとある。非常に聴き応えのある1枚だ。

同時期にもう1枚買った森山威男のコルトレーン作品ライヴ盤もよかったが、やはりトレーンミュージックの焼き直しの感から抜け出すのは容易ではない。それなりの作品であるがそれまでの作品でもあった。あと個人的にはどうしてもベースの演奏が頼りなさげで気になったのが惜しいと感じた点だった。

さて、このろぐもこれで丸4年が経過することになる。2007年はいろいろなことがあったが、既に書いた様に、僕にとってはいままで以上にいろいろなことが大きく前に進んだ年であった。父のことを始めとして、本当にいろいろな経験した年だった。まだ始まったばかりのこともあるし、いい教訓を残してくれたこともあった。父がいなくなった寂しさの一方で、個人的にはこの流れをとめないで続けて生きたいと思える1年でもあった。皆さんにはどんな年だっただろうか。

えぬろぐは2008年もこの調子で続けていくつもりである。気が向いたときに読みにきていただければうれしいと思う。どうぞ皆さん、よい年末年始をお迎えください。

The Official Site of Chris Potter 公式サイト

12/16/2007

温泉と紅葉の山道

先々週の金曜日に、会社を休んで湯河原の温泉旅館に1泊2日の旅行に出かけた。今年はいろいろなことがあった。妻と2人泊まりがけでこうした温泉旅行をするのも久しぶりのことだ。

行き先にはいくつかの候補があった。先日出かけた南房総も捨てがたかったが、今回はなじみのところでのんびりしようということで、結婚以来何度かお世話になている湯河原の「近藤」という小旅館に行くことに決めた。おじゃまするのはたぶん今回で4回目になると思う。部屋が全部で数室で比較的手頃な値段で泊まることができる。浴場もこぎれいで24時間お湯に入れるのもうれしい。

旅館のチェックインが午後3時だというので、湯河原の次の駅である熱海にお昼に着いて、そこから歩いて湯河原を目指そうという計画を立てた。川崎の家を出たのは午前10時だった。川崎から横浜までのしばらくの間は東海道線もまだ少し混んでいたが、大船を過ぎたあたりですっかりお客さんも少なくなった。平日の昼間の電車は気持ちいいものだ。

僕はiPodで久しぶりにアルバート=アイラーのラストライヴを聴いた。快調に吹きまくるアイラーの演奏と、電車の座席から眺める神奈川の車窓の景色が、平日に仕事を休んでくつろいでいるという気持ちよくマッチした。湘南の海はおだやかでとてもきれいだった。

熱海は新幹線の駅ということもあって、湯河原よりは駅前が大きい。夜は旅館でごちそうなので、軽くお昼を食べようと少し駅前をうろうろした結果、商店街のはずれにあったラーメン屋さんがよさそうだったので、そこに入った。みそラーメンが売りのお店で、僕はそこにのりとゆで卵を入れた「熱海ラーメン」を注文した。初老の白髪店主が作るラーメンはなかなかおいしかった。


腹ごしらえもすんで、さてここから少し歩いて湯河原を目指そうということになったのだが、ここで少し番狂わせがあった。というのも熱海の東側から湯河原に至る道のりが、想像以上に入り組んでいて観光地図が役に立たない(考えてみれば湯河原と熱海はまあライバルの様なものでもある)ことがわかったのと、坂がかなり厳しく、僕が踏破するのに少し体調の不安を感じたのである。

結局、少し道をいったところで今回は断念し、そのまま電車で一駅戻って湯河原に入ることにした。歩く気満々でいた妻は少々不満気であったが、まあ体調が悪くなってしまってはせっかくの温泉も楽しむどころではない。歩くのは翌日でもできるので、とりあえずその日はおとなしく午後3時ちょうどに宿に入らせてもらうことにした。結果的にはその方がよかったと思う。湯河原駅から旅館までは歩いて20分ほどなのだが、途中にある神社の紅葉がきれいに色づいていた。

旅館は少し古びた様に映ったものの、こじんまりとしたたたずまいはいつもと変わりないものだった。僕らがその日の最初のお客だったようで(当たり前か)、奥から出てきた主がいつもの様に丁重に迎えてくれた。温泉に一番近い部屋に通され、入れてもらったお茶を飲んで一服したのも束の間、僕らはすぐに温泉に向かった。お湯は少し熱かったが、足を伸ばしてゆっくりつかれるお湯は最高である。少し気配のあった体調の不安もあっという間に飛び去った。

食事までの間まだ2時間ほどあった。妻は読書をするというので、僕はiPodに入れてあったブランフォードのライヴ映像をじっくり楽しんだ。これを観るのも久しぶりだったが、この映像をこういう場所でこういう形で楽しむことになるとは、少し前までは想像もできないことだった。確かに画像は小さいのだが音楽映像は音楽がメインなので、意外にもこういうスタイルでもそれなりにしっかり楽しむことができる。浴衣姿で畳の上に足を伸ばして楽しむ「至上の愛」も格別だった。

今回はいつもの食事に刺身の皿盛りを追加で頼んであったので、お刺身づくしの豪勢な夕食となった。小さなお鍋までついてあって、最後にそれで雑炊を作って平らげた。完全な食べ過ぎである。夜9時前になって再び温泉へ。またしても誰もいないお風呂場でのんびりと腹ごなしをした。僕は温泉に行くとなぜか頭髪を洗わない。

その夜は近くのコンビニで買ってあった紙パック入りのワインを部屋で飲んだ。これが意外にも美味しかった。おつまみはなかったがさすがに夜ご飯を食べ過ぎたのでちょうどよかった。テレビではドリームズ・カム・トゥルーのドキュメンタリー番組をやっていて、しばらくそれに見入ってしまった。最近のろぐで日本の国民的人気音楽とは誰かという話を書いたことが思いだされた。もしかしたら一番近いのは彼等かもしれないなと思った。

翌日、朝風呂と朝食を堪能し旅館を後にした。旅館の部屋に置いてあった観光チラシで見た「もみじの郷ハイキングコース」というのを歩いてみることにした。ところがこれがまた実にいい加減な地図しか載せられておらず、さんざんあちこち道をいたり来たりした末に、よくわからないので下から上るのをあきらめて、バスで奥湯河原の入り口まで行って、コースを下ってくることにした。バス停に向かう途中でやはり同じチラシをもったおじさん3人組に道を聞かれた。僕らもわからないで困っているのだと、いままで行った道を説明したところ、この地図はなっていない観光協会に文句を言っておこうなどというわりには、楽しそうなおじさん達だった。


バスで10分ほど上って奥湯河原入口のバス停で降りてみると、ハイキングコースの入口はすぐにわかった。実際にはかなりな山道でそれはそれで歩き甲斐もあって楽しかったのだが、肝心の紅葉の方は大して本数があるわけでもなかった。山道は落ち葉がたくさん積もっていてなかなか趣があった。ところどころから見える遠くの山々がきれいに色づいていた。途中休憩もしながら2時間ほどの行程だっただろうか。

ハイキングコースを終えたところを歩いて下っていると、向こう側から3人の男性が登ってくる。よく見てみるとさっきのおじさん達だった。彼等はなんと彷徨ったあげくに自力でようやくこの登り口までたどり着いたようだった。「おや、あなた方は・・・」と驚いた様子で、僕らがバスで上ってコースを降りてきたのだと説明すると「いやあそれが正解だよ」とここまでの苦労をまくしたてて最後にまた観光協会がどうのこうのと言っていたが、それでも楽しそうだったのが印象的だった。

おじさん達と別れてほんの少し歩くと、それが僕らがさっきおじさん達に遭った場所に近いところだということがわかった。僕らがバスに乗ってハイキングコースを降りてくるのに2時間ほど経過しているわけだから、その間出来の悪い地図と格闘しながら付近をうろうろしたのに違いない。お気の毒である。

僕らは近くの「万葉公園」内にある、いろいろな足湯を集めた施設「独歩の湯」で少し足を休めた。まああまり風情のある場所ではないが、疲れた足を休めるにはいいお湯だった。そのまままたバスに乗って湯河原の駅まで降り、駅前にある小さなおそば屋さんでお昼を食べて電車に乗って家に帰った。地図に関する番狂わせが続いた旅だったが、それもまあ面白いものだった。温泉は楽しめたしご馳走にも満足した。またいつか来たいと思うが、今度湯河原を訪れるのは、しばらく先のことになるだろうなあと思ったのも正直なところである。

12/09/2007

カールハインツ=シュトックハウゼン「イン フレンドシップ」

 ドイツの作曲家カールハインツ=シュトックハウゼン氏が、2007年12月5日にキュルテンの自宅で亡くなったそうだ。79歳だった。死因は現時点では明らかにされていない。

シュトックハウゼンは僕の音楽生活のなかで最も大切な人物の一人だ。

僕がシュトックハウゼンのことを知ったのはいつだったか、いまははっきりとは思い出せない。少なくとも名前だけはかなり以前から知っていたが、初めて彼の音楽に触れたのはいまから10年以上前になる。ピアニストのマウレッツィオ=ポリーニの来日演奏会でのことだった。ポリーニはその年の来日で4回の東京公演を催したが、そのうち3回がベートーベンばかりのプログラム、そして1回がシュトックハウゼンばかりのプログラムだった。

その直前にポリーニの演奏するショパンをCDで聴いて、クラシックピアノの魅力にある程度目覚めていた僕は、当時まだ結婚していなかった妻を誘ってその演奏会に出かけることにした。もちろん僕が買ったのはシュトックハウゼンの演奏会だった。実際には当日までにプログラムが変更され、いくつかの演目がリスト後期のピアノ曲とシェーンベルグのピアノ曲に差し替えられ、近代のピアノ音楽が現代につながっていく軌跡をたどるという趣旨になっていた。たぶんチケットの売行きを気にした主催者の配慮だと思うのだが。

有名なシュトックハウゼンのピアノ曲第9番、10番、11番などが演奏された他に、やはり有名な彼の初期の電子音楽作品「少年の歌」と「コンタクテ」がテープで演奏された。これはいまから考えれば非常にポリーニらしい計らいだった。この演奏会を期に僕は彼の音楽のファンになり、少しずつ彼の作品を集め始めることにしたのだった。

彼の音楽に触れるのは実はあまり容易なことではない。1969年以降、作品の版権はすべて彼自身が設立した出版会社の管理に置かれ、すべての作品はそこから言わばインディーズ作品という位置づけでリリースされている。一部のタワーレコードなど大きなCDショップで入手できるのだが、値段が高い上に作品の内容に関する情報が極めて少なく、なかなか現代的な買い方をするには手の出しにくい代物である。作品に対する世の評価は、ゴミ、難解、天才、神とかなり様々なものに満ちあふれている。

いろいろと論はあるだろうが、現代における音楽というものについて、音、時間、空間の様な極めて哲学的な本質論から、シンセサイザーやショーパフォーマンス、音楽ビジネス、教育といった現代的なテーマに至るまで、シュトックハウゼンほど広く深く考え、なおかつ自ら実践した人間はおそらくいないだろう。20世紀の半ば以降、音楽を取り巻く環境は言わば断層的に変化してしまったわけだが、シュトックハウゼンの業績はその変化の橋渡しを多面的に行ったことだと僕は思う。

彼の死はもちろん残念ではあるが、幸いにも彼の業績はしっかりと記録に残されている。彼が音楽生活の後期に最も意欲的に取り組んだオペラ「光」も全編が完成されている。晩年の連作「音」は完成しなかったのは残念だが、どんな偉大な芸術家にも未完の大作は訪れるものだ。僕にとっては2005年の来日公演で、生のシュトックハウゼンの生の姿と、彼が生で操る音楽に触れることができたことが、僕の音楽人生のなかでの最も貴重な経験の一つだと思っている。

僕は彼の音楽については十数枚のCDを持っている。いずれの作品も敬意を表さないわけにはいかないものばかりだ。いずれまたこのろぐでも少しずつ紹介できればと思う。今回は彼の死を悼んで、彼がともに音楽と人生のパートナーとして過ごした女性管楽器奏者、スザンヌ=ステファンのために作った作品をまとめたものをあげておきたいと思う。

全集の23番に相当するこのCDには、"IN FRIENDSHIP"、"DREAM FORMULA"、"AMOUR"と題された管楽器独奏の3つの組曲が収録されている。これらの表題に作曲者が演奏者に込めた想いに考えをめぐらせるのは自由で自然なことだと思う。僕にはそれが「音楽を作る」ということへの人間の関わり方の究極形だと思う。音楽は人が人のことを想い奏でるものだ。彼の業績に感謝し冥福を祈りたい。


この週末にあった出来事—湯河原への温泉旅行—については、また来週あらためて書こうと思う。

12/02/2007

イヴェッチ=サンガロ「イヴェッチ ノ マラカナゥン」

 奇数月の月末は、仕事で定期発行しているレポートの発行日になっている。それなりに追い込みモードに入ったわけだが、新しい戦力も順調に仕事慣れしてくれて、これまでに比べてずいぶん楽になった。今回はネット動画と呼ばれるものとその周辺に関する状況をまとめ、これからそうしたものがどういう方向に向かっていくのかというもの。とにかくいろいろなファクトがあり過ぎて、状況をまとめるだけでもひと苦労であった。まあ限られた時間のなかでやる内容としては、満足のいくものに仕上がった。

ディスクユニオンのCD買取り査定アップキャンペーンがまだ続いているので、週末に今度はクラシック関係のCDを40枚ほど見繕って、売りに出した。この手はいつもお茶の水のクラシック館に出している。キャンペーン効果で買取り担当者は超多忙な様子だった。できれば査定に少し時間が欲しいという。まあこの周辺ならディスクユニオンやら楽器店やらがあるし、少し足を伸ばせば秋葉原にも行ける。なので4時間ほどその辺りをぶらぶらすることにした。

一頃寒くなったものの、この週末はまた少し暖かい気候だった。細身のブーツカットデニムにセーター、ジャケットでちょうどいい感じ。クラシック館を出て吉野家で牛丼を食べる。お店は混雑してサービスの要領の悪さが露呈する。ジャズ館を少し覗き、楽器店などを見て歩いた。いますぐに欲しいものはないので、あまりお店を見ても刺激を受けない。

そのまま秋葉原へ。歳末商戦ということもあってか街は賑やかだった。いまやこの街の象徴にもなったメイド姿の女の子が何人も街頭に立って、お店の宣伝をしていた。メインストリートに活動拠点を置いているアイドルグループのイベントに、何人もの人が行列をして並んでたりした。こういう様子を見るにつけ、僕はこうした文化がこの街に根付いてよかったなと思う。家電製品の街からパソコンの街へ、そしてそこから発生した新しい文化が街を活き活きとさせている。好きなことがあればそれにのめり込む。素晴らしいことだ。

夕方まで待って、査定の結果は2万5千円ほどだった。クラシック関係もまだかなりの値段で取引してもらえるようだ。春までにまた次のキャンペーンがあるだろうから、もう少しいまの持ち物を整理してみようと思っている。

妻が仕事で浜松に出張した。秋野不矩という女流画家の美術館が静岡の天竜にある。そこの取材に出かけたのだ。この人は、初め日本画家として活動していたが、人生の半ば(50歳頃)にインドを旅行したことから、その世界に目覚めてしまい、以後何度もインド周辺に足を運んで、素晴らしい作品をたくさん残した。彼女のインド旅行は80歳、90歳になっても続いた。最後に行ったのは92歳のアフリカ旅行だったと言うから凄まじい。来年が生誕百年ということからまたいろいろと話題になることと思う。

浜松のお土産だと言って、うなぎの白焼きを真空パックにしたものを買って帰ってくれた。僕は初めて食べたが、これが美味しかった。蒲焼きもおいしいが、やはりタレがくどく感じられることもある。その点白焼きは、お醤油でいただくのでさっぱり食べられ、うなぎの脂の美味しさが嫌みなく楽しめる。もちろん脂の少ない国産うなぎならではの味わいだと思う。

3週間ほど前に、以前から少し気になっていたブラジリアンポップスのDVDでよさそうなものを渋谷のタワーレコードで見つけていた。その場で買ってもよかったのだが、海外からならもう少し安く買えるのではないかと思い、結局ネット通販で取り寄せることになり、それがようやく届いた。今回の作品はそのDVDである。

イヴェッチ=サンガロはブラジルでは知らない人はいないという位の国民的大スターである。彼女が昨年末にリオのマラカナン・サッカー・スタジアム(日本で言えば国立競技場の様なところ)で行ったスペシャルコンサートの模様を収録したのがこのDVDだ。とにかくアリーナ含めてスタジアム一杯に集まった観客の熱狂が素晴らしい。

イヴェッチは今年35歳になるらしいが、歌声は力強く清々しい。さらに整った顔だちと見事な健康的肉体はDVDならではの魅力として堪能できる。イヤらしい意味で書いているのではないが、このDVDが僕の目にとまったのはジャケットにある、エナメルスーツで熱唱する彼女の姿があったから。イヤらしいですか、やっぱり。。。

彼女は日本でいうなら・・・と考えてみて、僕はいまの日本にはこういう人はいないのかもしれないなあと思った。こういう大規模なコンサートをできる人はいる、しかし国民的スターと言うと果たしてどうか。僕には日本の人気者達も素晴らしいと思うが、最近では何かその人なりグループの個性を出すこと(別の言い方では世界を作ること)を意識しすぎて、普遍的な魅力を醸し出すところに皆あまり関心がないように思うのだがどうだろう。

もう一つの魅力はやはり音楽だ。ステージはそれなりに大掛かりだが、音楽はしっかり人間の手で演奏されている。当たり前なのだが全員極めてレベルが高い。3管のホーンセクション、そしてラテンミュージックには欠かせないパーカッションセクション、コーラスやダンサー含めかなり大きなアンサンブルだが、いずれも素晴らしく息もぴったりの演奏を聴かせてくれる。それに合わせて展開されるイヴェッチの力強い歌声、改めて彼女は歌がうまいなあと思う。こういうライヴでここまでしっかり歌える人はなかなかいないのではないだろうか。

南半球は真夏のクリスマスだ。12月はいつもあまり好きな時期ではないのだが、今年は年半ばにいろいろなことがあったせいか、最近になって気持ちが落ち着いてきていつもと違った年末になりそうな気がする。今月もいろいろな人と呑みに行こうと思う。