6/11/2007

デイヴ=リーブマン「バック オン ザ コーナー」

 金曜日に会社からお休みをもらい、3週間ぶりに和歌山に帰った。

前回のろぐにも書いた通り、このところ父親の様子は病状こそ比較的落ち着いているものの、認知症的な症状、つまりボケた様な状況が出てきていて、自分がいまいる場所が分からなかったり、意味不明の(というかつじつまの合わない)言動を繰り返す様なこともあったりで、病院の人の手を焼かせてしまっている。先週早々にはまた例によって「家に帰る」を繰り返し、さすがに叔母も音を上げてしまい、とうとう仕方ないことに家政婦さんを病院に住み込みで雇うことになった。

父が入院している病院は「24時間完全看護」をうたっており、家族が同伴する必要はないということにはなっているが、実態はかなり異なる。彼のケースに限らず、病棟の同じフロアでもそうした家政婦の存在がかなり目につく。実際に家政婦を雇ってみて、家政婦とはこういう人ということがわかると、それが実感できる様になった。いままで付き添いの身内の人だと思っていた人の多くが、そういうヘルパーなのだ。完全看護とは名ばかりだ。いまの時代にはやや信じ難いことだが、これが特に地方における日本の医療の実態である。単に人が足りないということだけではない。ある意味においてサービスのレベルやプロとしての意識の問題なのだと思う。

今回は兄と一緒に2日間にわたって訪れた。僕等が着いて家政婦さんとは挨拶をして少し話をして、しばらく休みがてら外に出てもらうことにした。僕等だけになると、父はベッドから起き上がり、立ち上がろうとする。僕が支えてようやくベッドに腰掛ける姿勢に落ち着いた父は、しばらくして泣き出した。思う様にならない身体、言葉、意識、そして周囲の理解。息子達を前にしてもお構いなしにしくしくと涙を流すその姿に、かけてあげられる言葉は少なかった。

薬の効き具合やら本人の体調、精神状態その他いろいろな要因が重なり合うことで、父の意識や機嫌は目まぐるしく変わる。ただ、兄や僕ら、あるいは叔母がいるときは概して調子がよいので、やはり根本にあるのは寂しさが大きいのだろうと思う。こちらとしても非常に辛いところだ。可哀相だというだけではどうにもならない。本当に難しい問題である。

さて、前々回のろぐに続いて今回もリーブマンの作品を取り上げる。タイトルはマイルス=デイヴィスのエレクトリック時代の名作"On the Corner"をもじったもの。同作でサックスを演奏していたリーブマンによる、マイルストリビュート作品である。この作品もアランの店Jazzloft.comで存在を知って、購入したもの。ジャケット写真からのリンク先も彼の店になっているので、今日のある人は買ってあげてください。

メンバーとしてギターのマイク=スターン、そしてベースにアンソニー=ジャクソンが入っている。マイクもデイブとは時期が異なるが、マイルスグループのメンバーであった。彼の名を一躍有名にしたのはそのことが大きい。他にはトニー=マリノという人が時折スティックベースで参加する。

この作品で特に素晴らしいのは、なんと言ってもアンソニーのベースワークである。まあ彼のベースはどの参加アルバムを聴いてもハズレは少ないのだろうが、この作品ではロックビートのベースドラムにガッツリと合わせた「本当のベース」とでも言える演奏が存分に堪能できる。しかも、彼のトレードマークとなったフォデラの6弦ベースから繰り出されるねちっこい低音は、スピーカで聴いてみて「ああ、やっぱりこういうのがベースだよなあ」と心から感じさせてくれる演奏だ。その意味ではヘッドフォンやラジカセでの視聴はお勧めできない。

アンソニーはフュージョン全盛の1970年代後半から1980年代にかけては、かなりハイテクな演奏も披露していたが、最近は低音の魅力でのいかにもベースらしい演奏と、それでいて誰にも真似のできない個性を兼ね備えた演奏を同時に聴かせてくれる。今回のセッションは音楽の性格上、ライブセッションの荒々しさに溢れた内容であるが、アンソニーのベースは荒れ狂うソロイストたちをしっかり支える音楽の土台を見事にこなしている。

演奏曲目には緩急に富んだ様々なスタイルの音楽が繰り広げられるが、まるでライブハウスのステージを見るようなワンタイムセッションの生々しさが素晴らしい。アルバム全体を通して非常に楽しめる内容だ。最近眠ってしまっている自分のお気に入りのオーディオシステムをお持ちの方は、是非ともこの作品を楽しんでみることをお進めする。もちろん音は「大きめ」で、誰にも気兼ねしないでいい状況を作って臨んでいただきたい。21世紀においても、エレクトリックマイルスの真髄を彷彿とさせる名作である。

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