ジョン=ケージの音楽を求めてCDラックの前に立つ。
僕には聴きたいと思う音楽がいつもたくさんある。アマゾンのトップページを開くたび、いままでの履歴から毎回いろいろなCDを推薦してくる。それは高柳昌行だったり、YUIだったり、のだめオーケストラだったりする。そのどれもに少なからず興味を抱き、時に購入することもある。
なぜその音楽を聴きたいのか、ということをあまり明確に意識したことはないし、そんなことを考えても意味がないと思うことがほとんどだ。だけど、いまジョン=ケージの音楽を僕が求めるの理由というか原因のようなものについては、なんとなくわかるような気がする。
僕はケージの代表的な作品については、一通りCDを持っている。スイスの現代音楽レーベル"HatHut Records"がリリースした一連のケージ作品のシリーズは、僕の大切な宝物だ。これを揃えるまでに随分といろいろなお店を回ったものである。以前取り上げた「7つの俳句」が収録されているのも、このシリーズのもの。同じタイポグラフィで統一されたジャケットデザインは、シンプルだがコレクターの心をくすぐる。
全部で十数枚あるシリーズのなかで、僕が最もお気に入りなのが今回の作品である。ケージの4つの作品を、前衛ピアニストのヒルデガルド=クリーブが演奏している。作品の中核をなす2曲は彼女の長年の盟友でトロンボーンのローランド=ダヒンデンとのデュオである。
冒頭の"Prelude for Meditation"は1944年のプリペアドピアノ作品。わずか1分少しの超短編だが、このアルバムの導入曲として見事な役割を果たしている。「響き」を美しく表現することが求められる作品であり、クリーブの演奏とhathutの録音エンジニアの腕前は息が詰まるほどに見事だ。
続いて本作品のメイン2曲。先ずはケージの代表作の一つである"Ryoanji(龍安寺)"。ここではトロンボーンとパーカッションのデュオとして演奏され、パーカッション部分はクリーブがピアノを金属片で叩く音が用いられている。2つの異なる材質からなるもので演奏されることは、作曲者の指示に基づいている。17分間にわたって繰り広げられる石庭の音宇宙が見事である。
そして40分間にわたる"Two(5)"。ここでは音と音の間隔はさらに広げられ、時に無音部分が数十秒続くこともあり、音楽的瞑想はさらに深い段階に入ってゆく。やさしいタッチでありながらとがったガラスのような輝きをもつピアノの音色と、丸く連続的な音程変化をもつトロンボーンによる音の邂逅に、僕はいつも時間を忘れて恍惚となる。
アルバムの最後は1948年のピアノ曲"Dream"。これは個人的には20世紀で最も美しいピアノ音楽の一つとして挙げておきたい作品であり、とりわけこのアルバムでのクリーブの演奏が素晴らしい。夢の極地にまで至った瞑想は再び還るでもなく永遠に続くでもなく、CD演奏が終わったことに気づかないこともあるほどに、止まった時間として存在することもある。
残念ながらこのCDは現在廃盤になっており、かなり入手は難しい状況だと思う。しかしhathutは過去の優れた録音を定期的に再発しているようなので、この作品も近い将来必ず再び世に出回ることになるだろうと信じている。
僕がこのところケージの音楽を求める理由、それはやはり父のことだと思う。確実に近づきつつあるブラックホールのような深い闇。そのことを想うと、僕は無意識のうちに、ケージが生み出した必然や偶然を超え音の有無を超えた音楽にすがりたい気持ちになるのだろう。
HatHut Records
Hildegard Kleeb
Roland Dahinden
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