10/28/2006

スティーヴ=コールマン アーカイヴス

 ちょうど過ごしやすい気候が続く。身につけるものも、ジャケットとか薄手のコートにシャツと身軽で、身体の形も隠れずに、それでいていろいろな組合せができて楽しめる。僕は別にお洒落さんではないが、出かける時に着ていくもののことを考えるのは好きだ。

今週の月曜日に、渋谷のあるところで仕事関係のセミナーがあった。ネット関係の商品説明会のようなもので、こじんまりとしたものだったが、お客さんは若い人が中心で、日頃の仕事をとは違う雰囲気があった。その帰りに僕は久しぶりに駅前にある楽器屋さんに立ち寄ることにした。

最近、音楽を演奏する趣味がまた盛り上がっているようで、新しい楽器屋さんもいくつかできているようだった。とりあえず昔からある大型店に入って、ベース売り場に行ってみた。もちろんお目当ては多弦ベースである。以前は、こういう楽器はなかなか売れないので、店頭に置かれている数はとても少なかった。でもお店にはかなり多くの種類のものが置かれていて、それなりに愉しかった。

雨の平日の夕方ということもあって、お店はヒマそうだった。売り場のお兄さんは、気前よく試奏をさせてくれた。TUNE社の7弦ベースという商品も触ってみた。思ったより弾きやすかったし、音域の広さは素晴らしい可能性を感じさせてくれたが、弦を交換していかねばならないことを考えると、ちょっと所有するには不自由しそうだと思った。

やっぱり買うなら6弦かなあなどと、売り場にいるとすっかりその気になってしまうのだが、実際には30万円くらいは覚悟しないといけないので、これはそうやすやすと決められる話ではない。もはやMacを買うよりも高いのだ。Macなら家にあれば僕以外にも使う人がいるが、ベースはもう純粋に僕だけの趣味だ。うーん、収入は増えたはずだし、特に借金をしているわけでもないのだが、支出には慎重になったものだ。賢くなったのだと独りで納得しながら、指に残った弦とネックの感触だけを持って店を出た。「またお待ちしてます」。お店のお兄さんが、まるでラーメン屋さんの様な言葉で送り出してくれた。

さて、多弦ベースのことを考えるようになったのには、いろいろな理由がある。先週取り上げたマイクのDVDもそうだし、「のだめカンタービレ」が何かを触発しているようにも思える。そしてもう一つ大きいのが今回紹介する音楽というか音源からの影響である。

今回取り上げるのはCDやDVDではなく、その名前からお分かりの通りサイトである。スティーヴは最近取り上げた最新作でも触れたように、僕の超お気に入りのアーチストである。そこでも彼のアーチストとしての革新さとタフネスについて書いたが、彼のもう一つユニークなところはインターネットでの活動にある。

スティーヴは過去のアルバムについては、レコード会社との販売契約が切れたものについては、そのほとんどすべてをインターネット上で公開している。もちろんアルバム全曲を公開していて、形式はmp3などの圧縮形式であるが、通常楽しむには何ら問題はない。その数は既にアルバムにして20枚以上に及ぶ。

そしてさらに凄いのが今回紹介するアーカイヴである。ここではスティーヴのグループが世界中で行ったライヴパフォーマンスの記録が、セッションごとにmp3などのオーディオファイルで整理され公開されているのだ。その数はざっとパフォーマンスにして300以上の数に上るとのことだ。

こうした記録は昔であれば「海賊盤」とかプライベートテープと言われるものにあたるわけだが、このサイトが凄いのはスティーヴ自身が運営するサイトではないものの、公式サイトにもしっかりとリンクが掲載されており、併設の掲示板にはしばしば本人も登場する。いわば本人も公認のサイトなのである。

僕は最近になってようやく手続きを済ませて(登録は名前やメールアドレスなど、若干の個人情報を求められるものの一切無料である)、暇を見てはいくつかのセッションをせっせとダウンロードしている。録音の状態は様々であるが、FM放送のものやミキシングコンソールからの直接とられたものも多く、いまの時代の技術を反映していずれもクオリティは十分すぎるものだ。

おかげでiPodの中はいま彼のグループの演奏がぎっしり入っている。これだけ数があると全部聴くのにどれだけかかるかわからない。来日を待ち望む一方で、彼の演奏の醍醐味であるライヴパフォーマンスが存分に味わえるこの企画は本当に素晴らしい。

それにしても、こういうサイトの存在を考えると本当に時代の変化を感じざるを得ない。エレクトロニクス系の音楽アーチストでは、こうした活動はもはや珍しくないものになりつつある。それはCDやDVD、あるいは映画やテレビといったものが、即座になくなることを意味するものではないにしても、いままで起ってきた変化に比べて、その深さや広がりははるかに大きいわけで、何も音楽や映画に限らず、僕が仕事にしているレポートの流通などにも確実に広がっていくだろう。楽しい時代だ。

そして一方で、やっぱり生のスティーヴ=コールマンを体験したいと思う気持ちは、変わらないどころか一層強くなる。それがまたこうした新しいものが気付かせてくれる、物事の大きな側面であることも忘れてはならないだろう。同時にそれがあるから、この新しい仕組みは非常に優れた社会性と本質を備えたものなのである。ヴァーチャルな広がりは利便性を高め、同時にリアリティという物事の実体や本質を高めることにもなる。

steve coleman archives

10/22/2006

マイク=スターン「ライヴ」

 風邪ひきの先週末から、病み上がりで出発した1週間。しばらく先延ばしになっていたレポートを完成させるべく、管理業務以外はひたすらそれに集中した。熱が下がった結果か、頭はそれ以前に比べてクリアになっていて、いろいろなテーマが絡み合って全くまとまりがなかったものを、何とかシンプルに整理して仕上げることができた。

そうして木曜日の夜にレポートを発行し終え、金曜日は、数字のチェッックをしたり、他から頼まれていたもの書きの企画を提出したりして過ごした。この日の夜は、中目黒でジンギスカンを食べる約束をしていたので、僕はそれが始まる前に会社を抜け出し、渋谷のタワーレコードに向かった。

久しぶりに、1時間半かけて6階から2階までの音楽売場を総なめにしてみた。いろいろといいものがあった。手にしたものを全部買えば、1万5千円くらいになったはずなのだが、そこは我慢してCD1枚とDVD1枚の計6千円に抑えた。諦めたものの中には、ウェザーリポートのボックスセット「フォアキャスト トゥモロー」があった。

店頭で上映される、黄金期のライヴ映像は確かに魅力的だった。事実上あのDVDの為にお金を出す様なもののはずなのだが、なぜか企画の上では映像はオマケということらしい。最近はそういうものが多い。まあこれについては、ネットで買えばもっと安く手に入るだろうと割り切ることにした。事実、後でチェックしてみるとその時の売値の75%で買えることがわかり、危うく購入ボタンを押しかけた。

土曜日はその際に買ったDVDを昼間に観て、夜は久しぶりにウィスキーを飲みながら、買ったCDを聴いた。今回はそのDVDを紹介するのだが、その前に、先週月曜日からフジテレビで始まったドラマ「のだめカンタービレ」を録画していたのを思い出して観たので、少しだけ書いておこう。

僕は原作のマンガはまだ読んでいない。大きな楽器店にいくと楽譜や書籍の売り場に、あのマンガのコミックスが積んであり、その変なタイトルと、どうしてこんなところにマンガが置いてあるのか、という点で気にしていた程度だったのだが、それがドラマになると聞いて、そんなに人気があるのかと思った。

原作ファンからすれば、映像作品化は大抵煙たがられるのが常だ。僕の周囲にも何人か原作が好きと言う人がいるようで(やはり大抵は楽器をやっている人だ)、その人達からまだ感想は聞いていない。最近の音楽関係のマンガといえば、ロックバンドを舞台にした「NANA」があるが、「のだめ〜」は音楽大学を舞台にしたラヴコメ、つまりクラシック音楽が主役である。

まだ第1回しか観ていないので何とも言えないものの、僕はなかなか面白いと思った。CGを使ってマンガの絵的リズムを表現しようとしているのは、そこそこ成功していると思ったし、マンガではあり得ない、シーンに合わせてクラシック音楽効果的に使うことも、この作品らしさをうまく出していると思った。あとはそのテンションを最後まで飽きさせずに続けられるかどうかだろう。

原作の登場人物のキャラに精通していないから、その意味では無責任なコメントかもしれないが、主役の上野樹里と玉木宏はなかなか上手く音楽生を演じている。上野は「スウィングガールズ」でもなかなかの評判だった。確かに演奏家を演じるのは、あるレベルを過ぎると、表情とか指使いとか急にいろいろと難しいものが求められるところを、なかなか健闘していると思った。

久しぶりに面白ければ最後まで観てみようかと感じるテレビドラマだった。ただ、たぶん原作は違うと思うのだが、話があるテーマに単純化されて物語が進む様なので、それで連ドラとして安っぽくならないかは心配である。

さて、今回のDVD作品は3ヶ月ほど前に発売されたもので、僕の大好きなギタリスト、マイク=スターンの最近のグループのパフォーマンスが収録されている。今年の1月に、会社の知人と彼の演奏を青山のブルーノートに聴きに行ったことは、このろぐにも書いた。ここに収録されている映像は2004年11月のものというから、僕等が観たものよりもさらに1年くらい前のものということになる。

マイクのパフォーマンスはたまに無性に聴きたく、というか観たくなる。人によっては、ワンパターンとかマンネリと言って片付けることもあるが、僕にとってはとてもわかりやすい表面と、意外に深い音楽性の両面がたまらない魅力である。今回のDVDはそれを観たくなればいつでも観ることができるという意味で、買っておいていいかなと判断した。

内容は僕等がブルーノートで観たものと雰囲気が似ている。マイクのギター、デニスのドラム、ボブ(=フランチェスキーニ)のサックスは、いつものように超強力でハイテクニックだ。そして、このDVDではベースをリチャード=ボナが勤めている。彼は最近話題のベーシストなのだが、僕は全く音を聴く機会がなかっただけに、今回のお目当てはそこにもあった。

結果的には、ボナはやっぱりスゴイテクニシャンだし、個性的なスタイリストでもあると感じた。ただ個人的にはちょっとうるさく感じられる部分もないわけではなく「ちゃんとベース弾けよ」と思う場面がいくつかあったことは事実だ。まあ新しさというのはそういうものだろう。でも僕は以前観たアンソニー=ジャクソンや、リンカーン=ゴーインズの方がいいと思った。

それにしても、ボナもアンソニーもリンカーンも、そして上原ヒロミのグループのトニー(=グレイ)も、最近の有名なエレキベーシストはみんなフォデラ社のベースを使っているなあ。やっぱりいいんだろうなあ、と少しずつ興味を引き寄せられつつある自分が少々怖い感じもする。機会があれば、是非触ってみたいものだ。おそらく一度触ったらもはやそれまでだろう。

ああ、このところまたベースをご無沙汰してしまっている。楽器にのめり込むというのは、やはり若い時にどこまで深く潜ったかというのは大切だと思う。四十の手習いとかいっても、それはそれで別の楽しみ方だとは思うけど、所詮いく先は知れている(やる方もわかっている)。僕は学生の頃にそれほどバリバリやったわけではなかったけど、あの頃自分を楽器に向かわせていたものは何だったのかと、考えてみてもそれが言葉になるわけではない。「のだめ〜」とマイクのDVDを観て、そんなことを考えた。

10/14/2006

デイヴ=ホランド「クリティカル マス」

 気をつけてきたつもりだったのに、久しぶりにカゼをひいてしまった。金曜日は仕事を休んでしまい、その夜には39度近い熱が出た。こうなるともう食べること以外は眠るだけである(食欲がある分にはまだ安心の余地はある)。眠り続けた甲斐あってか、今朝には平熱まで下がったものの、まだ喉が腫れているのでしばらくは予断を許さぬ状況だ。

仕事は、いつもだったらなんとか理由をつけて休みたいと思う。しかし、いざこういう状況になってしまうと、最近の仕事で至らぬところばかりが気になってしまい、ああなんでもいいから体調が回復して欲しいと願うようになる。それから、全快したら今度こそ毎日ちゃんと運動をして、週に1回はジムに行こうなどとうわごとのように誓う。不思議なものだ。

前回のアクアで1回中断していたが、アマゾンドットコムで購入した3枚のCD、最後の作品は、僕の大好きなベーシスト、デイヴ=ホランドの最新作である。これまでにも彼の作品は2枚取りあげているのだが、ホランドの作品についてまあはっきり言ってしまえば、かなり玄人好みの音楽だろう。特に日本では一般にほとんど名前が知られていない。しかし、彼はジャズ部門でグラミー賞を受賞するほど大変に評価が高いアーチストなのである。

今回の作品、タイトルは「クリティカル マス」とある。発売元はECMではなく、昨年(一昨年?)自身で旗揚げしたDare2 Recordsからのもの。ECMとの契約は終了したものと思われるが、その意味では今回買った3枚のいずれもが、かつてECMで看板だったアーチストのものというのは、単なる偶然だろうか。最近のECMはキースの稼ぎを元手に、欧州現代音楽の新しい才能を発掘しようという方向になってきたようだ。

内容的には、ECM後半から続くクインテット作品の延長で、ドラムがビル=キルソンからネイト=スミスという人に変わっているものの、サウンド全体のは大きな変化はない。今回も多くの曲で変拍子(4分の4や4分の3など一般的な拍子ではないもの)が使われているが、こういったところが玄人向けと思わせる所以かもしれない。

音楽演奏にあまり詳しくない人には、どことなく聴いていて「変な音楽」に感じられるらしく、その一方で、音楽演奏とにかくフュージョンとかプログレに深入りした人(特に日本人か?)は、この変拍子というのが好きで、「格が高い」という思いを抱く人が少なからずいるようだ。まあ「匠」と映るのは理解できるし、演奏上かなりチャレンジングなものである(というかここにあるようにさらりとやってのけるのは相当なリズム修業が必要である)。

僕はホランドはある意味で、モダンジャズ(あるいはコンテンポラリージャズ)を継承する最重要人物の1人だと思っている。ECM後半から続いているクインテットの作品は、いずれも素晴らしい演奏の連続であるが、一方で「どれも同じに聴こえる」という意見があるのはわからないわけではない。今回の作品は僕にとっては、吸収されるのに少し時間がかかった。同時に買った2枚が、新鮮に響いたのに対して、この作品は従来からのものがさらに深まりました、という性格のものだったからだと思う。

それでも最近になってようやく耳がこれについていけるようになった。こういう音楽はなかなかiPodでは真価を見極めるのが難しいと思う。裏を返せば、ヘッドフォンやカーステレオ、ラジカセなど「ながら文化」から生まれてくる音楽というのは、底が知れているということか。同時にもう少し言えば、記録された音楽も生演奏には勝てないということだろう。

今回は少々まとまりがないが、このあたりにしてまた一眠りしようと思う。

10/09/2006

アクア「カートゥーン ヒーローズ」

 毎日音楽を聴いていると、ひとりでに音楽、というか音に対する感度が上がるものだ。いまの時代、求めなくとも音楽はどこででも耳に入って来る。正直、そういう音楽のほとんどすべては、その時の自分にとってはゴミ同然のものだ。それはその音楽そのものに問題がある場合もあるが、一番根本的な問題は、その瞬間、自分がその音楽を求めていないのに勝手に耳に入って来る、ということが原因だと思う。何事にも出会いは大切なのである。

最近は、気になる音楽というものが、音の形で僕の認識に入って来ることはあまりない。大抵は、ウェブサイトやフリーペーパーなど文字情報の形でその存在を知り、結果として気になって買ってみるなどの行為に及ぶことがほとんどである。世間一般の音楽認識パターンは、テレビ番組やCFやラジオなどが多いとも聞く。

そうした場合、大抵はその音楽が誰の何という作品かを知るのは、比較的容易いことである。CFの音楽として一部分しか耳にしなくとも、大抵はインターネットで捜せば何とかなるものだ。まったく便利な時代である。

僕はいままで自分から求めて聴いた音楽は、ほとんど記憶しているつもりだ。タイトルがおぼろげだったり、演奏者名を失念している場合もないわけではないものの、インターネットを使えば少しの労力でそれを見つけ出すことはできると思っている。もちろんそれを実際に聴けば確実に思い出せるつもりだ。(実際にそれが買えるかどうかはまた別の問題である)

ところが、冒頭に書いたように、いろいろなところで無意識のうちに耳に入ってきて、それが僕の中に突然ある種の興味となって現れるという音楽も、ないわけではない。こうした場合、うろ覚えで何らかの基本情報を持ち合わせていれば、そこから捜すことはできるのだが、それが何もないという音楽も時にはあるのだ。そういう音楽を偶然また耳にした時、その場で何らかの情報を収集することができるならいいが、そういうものに限って、お店のなかの有線放送のようにどうしようもないことが多い。

それは、先月の札幌出張の際に起った。現地の支社の人達とすすき野の夜を過ごしている時に、その音楽が有線放送から不意に耳に飛込んできたのだ。思わず踊り出したくなる様な楽しいリズムとメロディ、甲高いヴォーカル、いわゆるユーロビート系の音楽で、おそらくは日本でもかなりヒットしたと思われるその音楽は、ここ数年突然、僕の中に入ってきては少しずつ興味を組み立てていった。

その時いたお店は、少し変わったクラブで、お店の女の子がハウスバンドの演奏でオールディーズを歌うという嗜好の店だった。彼女達は普通のホステスというよりは、願わくば歌を仕事にしたいと頑張っている娘たちだった。だから確かに歌は上手かった。

僕はちょうどいい機会だと、それまでの話から突然話題を変えて、席にいた娘達に「いまかかっている歌は誰の何という曲?」と問うてみた。しかし、残念ながら彼女達の反応も僕と大して変わらないものだとわかった。「聴いたことはあるし、いい曲だけど、誰の何かは知らない」。

この時の経験でその音楽は僕の中に確実に存在するようになった。僕は帰りの飛行機の中でも、その音楽を思い出してみた。家に戻って、インターネットで検索してみたりもした。「ユーロビート」「女性」「甲高い」など、いくつかの検索ワードを組み合わせてみたが、見つかるはずもない。iTune Music Storeやアマゾンの試聴機能を使うことも考えたが、そもそも何を聴けばいいのか、その見当をつける手だてが何もない。これはもうお手上げである。

そんな状態がしばらく続き、それでもその楽しい曲は僕のなかに居座り続けた。先々週の金曜日の夜、再びネット検索に立ち向かったが、敢えなく惨敗だった。いわゆる人力検索なるものがあるが、これが今回の様な疑問に役に立たないのはお分かりだろう。

僕はその夜遅くに帰宅した妻に、酔った勢いも借りて自分のいまの状況を訴えたところ、返ってきたのは「じゃあ歌ってみてよ」だった。僕は記憶にあるサビと歌い出しの部分を歌詞なしで(英語の歌なので)鼻歌のように歌って聴かせたのだが、「はあ?知らない、聴いたこともない」しか返事はなかった。家にある電気ピアノでつま弾いて聴かせても結果は同じだった。

妻にこれ以上聞いてもダメだなと思いつつ、ここまで来るともう意地である。そこで僕はある決意をした。その夜はそのまま眠り、翌土曜日になって僕はその決意を胸に、近くにあるタワーレコード川崎店に向かったのだった。

売り場に入って、先ずユーロビートの作品が並んであるコーナーに行った。いろいろなけばけばしいジャケットがぎっしりと置かれている。1、2枚のCDを手に取ってみたが、それで何かがわかるわけではない。僕はそういう自分に一瞬あきれたような微笑みを浮かべた(と思う)。そこで意を決して、売り場を見渡した。

すぐに目に入ったのは、広いレジカウンターだった。しかし、そこにはお客さんが行列を作って並んでいる。うーん、あそこじゃない。少し歩いてみると、長いCDの棚の端に小さなテーブルがあり、そこで陳列商品の管理をやっている店員が目に入った。なぜか僕にはレジの人よりは音楽に詳しいように思えた。「あの人にしよう」。

近づいてみると、それは女性店員だった。「女性かあ・・・」恥ずかしさで、再び一瞬怯みかけたものの、もう後戻りはできなかった。僕はその店員のところまで行って声をかけた。「あのう、すいません。実は音楽を捜してるんですが・・・」あとは手短に事情を説明した。最初は一瞬緊張の表情を浮かべた彼女は、すぐに微笑むと「わかりました、ではお願いします」と、手を自分の方に招いた。

その付近だけ人通りは少なかった。店内には普通に何かの音楽が流れていたが、自分のなかではまるで静寂の空間に感じられた。僕はその人の前でサビの部分を2回と歌い出しの部分を1回歌った。ひとりでに自分の手が、指揮者かなにかのように拍子をとった。

その店員はうっすらと微笑みを浮かべながら、じっと聞いてくれていた。「うーん」と唸りながら、しばし腕組みして考えた後に、「ちょっとここでお待ちください」といって、すぐ近くの"STAFF ONLY"と書かれた扉の向こうに消えた。僕はそこで開き直ったつもりだったが、やはり顔を真っ赤にして待った。

1分程して、彼女はまた別の女性を連れて戻ってきた。観客が1人増えたなと思った僕には、期待よりも恥ずかしさが増えただけだった。案の定、僕はその新しい女性の前でも同じように芸を披露した。そしてその反応は驚く程、前の女性と(そして前夜の妻と)同じく、腕組みをして薄い笑みを浮かべて「うーん」唸るのだった。唯一の違いは、2人が互いに目を合わせて記憶を探ることだった。

やっぱりダメかなと思った。さらに人が増えたらどうしようと、自虐的な情景を頭のなかで描き始めた瞬間、後からやってきた女性が口を開いた「『アクア』かなあ」。そしてそうつぶやいた彼女の表情に、なにかまだ不完全ながらも確信を感じさせる表情が溢れ出し、そのまま、彼女は僕を最新の試聴機があるところまで連れて行ってくれた。

その機械はお店のおすすめCDが聴けるというものではなく、インターネットの試聴と同様に、アーチストやジャンルから曲名を選んで、その音楽を30秒間試聴できるというものだった。いま考えればこの機械の存在が大きかった。「こういう声の人ですか、先ずはそれだけ確認したいんですが」そう言って、彼女はアーチスト名で「アクア」と入力して出てきた、最初の曲を聴くようにヘッドフォンを僕に渡した。

そして音が耳から入ってきた瞬間、僕の心にあった闇はあと影もなく光に変わったのだった。「カートゥーンヒーローズ:アクア」それがその曲のタイトルとアーチスト名だった。僕はその人達に何度もお礼を言って、その作品が収録された彼等のベスト盤を買って店を出たのだった。それが今回の作品である。

アクアは北欧出身の4人組。1990年代後半から2002年頃まで活動していたようで、2枚のアルバムを残している。いずれの作品も世界中で大きなヒットとなり、日本でもかなり売れたらしい。「カートゥーンヒーローズ」は、2枚目のアルバムに収録された、彼等の最も有名な作品で、日本ではキリンの生茶の音楽としても使われた(確かにいま聴いてみるとそういう記憶がある)。その位メジャーな曲なのだそうだ。

家に帰って、妻にその音楽を聴かせると、案の定「ああ、これは知ってるよお」という反応。まあ僕も同じ状態だったのだから、別に腹は立たないものの、どうしようもない。たぶんもっと多くの人に同じように聞いていたら、やはり多くは結果的に同じ反応をしたのではないかと思う。そして、いまこの話を読んでいただいている人の多くも、「アクア?カートゥーン?」であって、実際に音を聴けば同じ様な反応の方が多いなのではないだろうか。タワーレコードの店員さんはさすがはプロであった。素晴らしい。

僕はこの手のサウンドをそれほど深く聴いていたりするわけではないものの、今回買ったアルバムに収められた他の作品も含め、アクアのサウンドには時代を反映した素晴らしさと、時代を超えた輝きがあることを確信している。「カートゥーンヒーローズ」はメロディの素晴らしさと歌詞の内容も含め、後世に残るユーロビートの名作である。

しかし、使い捨て時代の大量消費音楽の宿命とでも言おうか。最近のヒット曲というのは意外にこういうものなのかもしれないというのが、少し寂しい今回の教訓である。そして、いつもと異なり、音楽を捜すのにいろいろな人を通じたやり方で見つけだすことができたことに、いつもと違った充足感が得られたことには、嬉しさもある一方で、何とも皮肉な気持ちも少し感じている。しかし、何事にも出会いは大切だ。

(お断り)アマゾンで買った3枚目の紹介については、また別の機会ということにします。