前回のろぐを書いた翌日から、ひたすら仕事の資料を作る毎日だった。土日も外に出ず、持ち帰った書類とPCとにらめっこの週末。おかげで月曜日の朝には、顧客に内容の全体的な骨子については認めていただき、ある会社向けの仕事はほぼ終わりが見えた。
しかし、内容を指導していただいた経営企画部門の部長さんから、最後に「金曜日の役員会議で発表してもらう前に社長に説明しておかないとね」という、想定外の一言がもたらされ、結局、午後にセミナーで講演する水曜日の朝にその時間を入れることになってしまった。
その講演の資料はかなり遅れ気味になっていたけど、こちらはもうある程度ぶっつけでしゃべるしかないなと開き直った。火曜日の早朝には、なんと夢のなかでストーリーの一部を作る自分を認識して、こんな夢を見るようになったかと少し驚きもした。人間は追いつめられると不思議な能力を発揮するものだ。その内容はもちろん講演の一部に組み込んだ。
実はその火曜日の夜に、友人と東京青山のブルーノートにマイク=スターンのグループを聴きにいく約束をしていた。予約したのはセカンドセットだったので、開始は夜の9時半。もともと夜になると仕事ができなくなる性格なので、セミナー資料の方はまあほどほどでいいかと、同僚と7時に会社を出た。諦めと開き直りの違いについて少し考えようとしたが、すぐにやめた。
夕食は彼の推薦で、表参道を少し外れた所にあるトンカツの「まい泉」。あんなところにあるのは知らなかったが、なかは結構広くて、なかなかのにぎわいだった。ビールを頼んで、お互いそれほど高くない定食を頼んでしばし話をする。以前、三軒茶屋の「阿川」に連れて行ってもらった彼だ。飲んでしまえばこっちのもの(訳が分からん)。
腹がふくれると、少し早かったがブルーノートで待つことにした。この日の演奏については、また忘れなければ次回にでも書こうと思う(いつものマイクだった、それから・・・)。ブルーノートを出た時は既に11時を過ぎていた。もう眠いのなんの。とぼとぼと川崎の自宅まで帰り、ちょっと焼酎を飲んだ。1時過ぎには寝たと思う。
翌水曜日、朝からその社長様への資料のご説明。内容に心をひかれたように見受けられなかったが、とりたてて反論は出なかったので、よしとする。そして3時間後にはセミナーでの講演が始まった。僕の知っている人も何人か聴きに来てくれていた。与えられた70分を超過して90分しゃべり続けた。話慣れた前半でつい舌が回ってしまい、半ばアドリブだった後半は支離滅裂に向かったが、まあなんとかなった。この日は5時半に会社を出て、ラーメンを食べて酒を飲んで、10時には眠ってしまった。
木曜日は翌日の発表に向けて資料の細かい調整などで、すぐに時間が経ってしまった。午後には事務局に資料を提出して、あとは明日の発表をするのみとなった。うっすらと桃源郷の様な光と香りが漂い始める。
金曜日、役員会議は朝から。もちろん門外漢なので、自分の出番以外は中に入れてもらえない。与えられた時間は20分だったが、前の議事が長引いて予定の時刻になっても招かれる気配がない。きょうはお流れかと憂鬱な笑みがこぼれたとき、ドアが開いた。「どうぞ」。
用意した30枚余の資料を早送りで説明し、10分ちょっとの超短縮版で説明を終えた。その日の午後は、部下が作成したレポートのチェックとか、飛び込みで入った案件の相談にのったり、おつきあいで外部団体主催の講演会を聴きにいったりしているうちに過ぎてしまい、時計は6時になった。こうして1週間が終わった。
今朝はぐっすりかなあと思ったけど、やっぱり6時に目が覚めた。ベッドでだらだらしても結局8時には起きてしまった。あんぱんとコーヒー、野菜ジュースの朝食をとって、何しようかなあと考えてみた。いらなくなった冬服がいくつかあったので、ものは試しにリサイクルショップに出してみることにした。
コートやブルゾンなど、6点ばかり持ち込んでみたが、結局引き取ってもらえたのは2点だけ。それでも2000円になった。カレーを食べて家に帰り、コーヒーを飲んで部屋でごろごろした。夕方になってようやくMacを開いてこのろぐを書いている。
今回の作品は唐突に決めた。前回もケージだったが、別にこの1週間ケージを聴いていたわけではないことは、なんとなくここまでの展開からご察しいただけるだろう。「リタニー」とは「連祷」という意味。ケージの声楽作品ばかりを集めたアルバムである。それぞれの作品についは、ケージ独特の考え方が作曲の根底にあるのだが、それをいちいち気にしなくても、ちゃんと楽しむことが出来る。
特にアルバム冒頭に収録されているタイトル曲は、グレゴリオ聖歌を思い起こさせる比類なき美しさだ。それに続いてケージ独特の実験的な作品が展開する。こうした声中心の作品というのは、普段なかなか近寄りがたいものなのだけど、何となく僕のこの1週間を表しているような音楽だなと思ったので、これをとりあげることにした。
それにしても僕のような仕事で(おそらくこういう仕事をしているサラリーマンは結構多いと思うのだけど)、忙しいというときに消費する情報の量たるや相当なものだと思う。調べたり、表現したり、修正したり、議論したり、そして発表したりと。残るのは疲労と資料だけというのも虚しいものだ。
講演の仕事は、やってみてなかなか得るものが大きかった。やっぱり単純なデータの整理とか分析ではなく、まとまった自分の考えを表現して話したりするのは楽しいものだなと思った。もう少し準備の時間が欲しかったが、忙しいなかでそれなりの張り合いが出ていたことも事実だと思う。またそういう機会があれば、挑戦したいと思う。
1/28/2006
1/20/2006
ジョン=ケージ「7つの俳句」
いや〜もう忙しい。量が多いというよりも内容が面倒。これは困ったものだ。ある大企業の来年度事業計画に関する前提条件を整理せよ、というものを来週の木曜までに作らないといけない。発表時間はたった20分なのだが、相手はその社のお偉いさんたち。当然、事前に何度も打ち合わせをやっていくのだが、なかなか要求が厳しかったりで、ダメだしくらってガックリの繰返しである。
加えてその前日の水曜日には、「インターネットと個」みたいなテーマで1時間程の講演をしなければならない。こちらは自社のイベントだし、いままでの蓄積が何にもないわけではないので、さっきの仕事よりまだ少し気は楽だが、いかんせん時間が長い。しかも聴きに来ていただける人が多様なので、前提となる知識がかなりバラバラの様子。レポートとしてよく出来ているという以前に、話として面白くないといかん、というパフォーマンスも意識しないといけないので、先の仕事とは勝手が違う。
作家さんは、複数の連載を器用にこなすらしいが、エッセイと旅行記と短編小説とかならまだわかるが、長編の連載小説をいくつも同時並行するというのは、にわかに信じがたい。ましてや恋愛小説を3つも4つもというのは、実際に3人の相手を掛け持ちする方がまだ楽ではないかという気すらする(したことはないが、残念ながら)。
タイに帰りたい、などとなんの足しにもならぬシャレを空しくキメたところで、寒さがこたえる。早く帰ってしまって、ついつい酒に手が伸びる。いかん。そうして1週間が過ぎたという感じ。そろそろもう後がない状況でヤバい。観念して週末も家でお仕事をすることにした。よっていつもは週末に書くろぐも、今回は金曜日の夜に書いている。んなことしてないで仕事せんか!でも、これは大切な気分転換なのだ。
さて先週の土曜日に、今年はじめての音楽探しに渋谷に出かけ、のんびり気長に探していたCDに巡り会った。"THE NEW YORK SCHOOL"と題されたこの作品、中味はもちろんニューヨークの学校の文化祭とかではない。1950年前後、ニューヨークを拠点に活動していた、アール=ブラウン、ジョン=ケージ、モートン=フェルドマン、クリスチャン=ウォルフの4人の作曲家たちの当時が、そう呼ばれているのである。このディスクにはその4人のその時代の作品が収録されている。
この"THE NEW YORK SCHOOL"は第3作まであって、かなり前に廃盤になっていて、プレス枚数も決して多くはない(たぶん3000枚程度だと思う)。僕はその3枚をいまもずっと探している。といっても中古屋に出入りしているうちに、いつか出会えるだろうという程度に思っていた。それがぴょんと目の前に現れたのだ。まあ中古屋での出会いとはたいていそんなものなのだけど。
僕は現代音楽が大好きで、この4人についてもわりと聴いている方だ。とりわけケージは大好きである。憎めない人柄、奇抜な発想、そして繊細な音空間。彼の作品は「耳を傾ける」という表現がしっくり来るものが多い。意外にもこのろぐでケージをとりあげるのははじめてだったようだ。今回の作品は、このCDに収録されている、ケージのピアノ作品である。
東洋とりわけ日本の文化に強い関心を持っていたケージの作品には、それらを題材にした作品も多い。おそらく一番有名なのは「龍安寺」だろう。これについてはまたいずれ書く機会があるだろうと思う。今回の作品の原題はそのまんま"Seven Haiku"である。もちろん"Haiku"とはあの「俳句」のこと。書かれたのは1951-52年といわれている。
そのタイトル通り、ケージの7人の友人をテーマにした、7つの句が収録されている。もちろん歌ではない。ピアノ演奏による「音の俳句」である。俳句のルールは日本人なら誰でも知っている「五ー七ー五」だ。なるほど音の数がそうなっているんだなと思った人はオシい。ケージは音の俳句のルールとして、拍子を選んだ。5拍子ー7拍子ー5拍子がそれぞれ1小節ずつ、それが1つの句となっている。
「まあ、おかしなことを考える人だねえ」と思った時点で、この作品の目的は半ば達せられた様なものだろう。ケージが作りたかったのは7つの俳句だけではなく、音の俳句という様式でもあった。だから「これならボクでもワタシでもできるぞ」と、楽器をちゃんと弾けない人でも、拍子だけとって自由に表現してみればいい。彼が望んだのはおそらくそういうことだと思う。そういう人なのだ。
当然のことながら1つの句は音楽としては非常に短い。7つをすべてを演奏しても2分弱という、小さな小さな句集である。でもこれが味わい深くていいのだ。惜しいのは句に読まれた7人についてわからないことだけど、まあ聴いているうちにどうでもよくなってくる(笑)。お猪口の熱燗とか、ストレートのウィスキーとか、そういう酒を三口で飲むような味わいがある(わっかるかなあ、わかんねだろうな〜(古))。
疲れたので今夜はここまで。あとはお酒でも飲みましょう。早く来週が終わってくれえ!
加えてその前日の水曜日には、「インターネットと個」みたいなテーマで1時間程の講演をしなければならない。こちらは自社のイベントだし、いままでの蓄積が何にもないわけではないので、さっきの仕事よりまだ少し気は楽だが、いかんせん時間が長い。しかも聴きに来ていただける人が多様なので、前提となる知識がかなりバラバラの様子。レポートとしてよく出来ているという以前に、話として面白くないといかん、というパフォーマンスも意識しないといけないので、先の仕事とは勝手が違う。
作家さんは、複数の連載を器用にこなすらしいが、エッセイと旅行記と短編小説とかならまだわかるが、長編の連載小説をいくつも同時並行するというのは、にわかに信じがたい。ましてや恋愛小説を3つも4つもというのは、実際に3人の相手を掛け持ちする方がまだ楽ではないかという気すらする(したことはないが、残念ながら)。
タイに帰りたい、などとなんの足しにもならぬシャレを空しくキメたところで、寒さがこたえる。早く帰ってしまって、ついつい酒に手が伸びる。いかん。そうして1週間が過ぎたという感じ。そろそろもう後がない状況でヤバい。観念して週末も家でお仕事をすることにした。よっていつもは週末に書くろぐも、今回は金曜日の夜に書いている。んなことしてないで仕事せんか!でも、これは大切な気分転換なのだ。
さて先週の土曜日に、今年はじめての音楽探しに渋谷に出かけ、のんびり気長に探していたCDに巡り会った。"THE NEW YORK SCHOOL"と題されたこの作品、中味はもちろんニューヨークの学校の文化祭とかではない。1950年前後、ニューヨークを拠点に活動していた、アール=ブラウン、ジョン=ケージ、モートン=フェルドマン、クリスチャン=ウォルフの4人の作曲家たちの当時が、そう呼ばれているのである。このディスクにはその4人のその時代の作品が収録されている。
この"THE NEW YORK SCHOOL"は第3作まであって、かなり前に廃盤になっていて、プレス枚数も決して多くはない(たぶん3000枚程度だと思う)。僕はその3枚をいまもずっと探している。といっても中古屋に出入りしているうちに、いつか出会えるだろうという程度に思っていた。それがぴょんと目の前に現れたのだ。まあ中古屋での出会いとはたいていそんなものなのだけど。
僕は現代音楽が大好きで、この4人についてもわりと聴いている方だ。とりわけケージは大好きである。憎めない人柄、奇抜な発想、そして繊細な音空間。彼の作品は「耳を傾ける」という表現がしっくり来るものが多い。意外にもこのろぐでケージをとりあげるのははじめてだったようだ。今回の作品は、このCDに収録されている、ケージのピアノ作品である。
東洋とりわけ日本の文化に強い関心を持っていたケージの作品には、それらを題材にした作品も多い。おそらく一番有名なのは「龍安寺」だろう。これについてはまたいずれ書く機会があるだろうと思う。今回の作品の原題はそのまんま"Seven Haiku"である。もちろん"Haiku"とはあの「俳句」のこと。書かれたのは1951-52年といわれている。
そのタイトル通り、ケージの7人の友人をテーマにした、7つの句が収録されている。もちろん歌ではない。ピアノ演奏による「音の俳句」である。俳句のルールは日本人なら誰でも知っている「五ー七ー五」だ。なるほど音の数がそうなっているんだなと思った人はオシい。ケージは音の俳句のルールとして、拍子を選んだ。5拍子ー7拍子ー5拍子がそれぞれ1小節ずつ、それが1つの句となっている。
「まあ、おかしなことを考える人だねえ」と思った時点で、この作品の目的は半ば達せられた様なものだろう。ケージが作りたかったのは7つの俳句だけではなく、音の俳句という様式でもあった。だから「これならボクでもワタシでもできるぞ」と、楽器をちゃんと弾けない人でも、拍子だけとって自由に表現してみればいい。彼が望んだのはおそらくそういうことだと思う。そういう人なのだ。
当然のことながら1つの句は音楽としては非常に短い。7つをすべてを演奏しても2分弱という、小さな小さな句集である。でもこれが味わい深くていいのだ。惜しいのは句に読まれた7人についてわからないことだけど、まあ聴いているうちにどうでもよくなってくる(笑)。お猪口の熱燗とか、ストレートのウィスキーとか、そういう酒を三口で飲むような味わいがある(わっかるかなあ、わかんねだろうな〜(古))。
疲れたので今夜はここまで。あとはお酒でも飲みましょう。早く来週が終わってくれえ!
1/14/2006
散歩〜ホアヒン・タイ
久しぶりに海外旅行に出かけた。おかげで、ろぐの更新が遅れてしまった。毎週読んでいただいている方々には、ご心配おかけしたかもしれないが、別に風邪で寝込んだわけでも、ろぐを書くのが嫌になったわけでもない。
行き先はタイ王国の「ホアヒン」というところ。バンコクからマレー半島方面を南に250km程下ったところにある町で、古くからタイ王室の保養地として名の知られたところなのだそうだ。現在では、バンコクに近い高級リゾートとして、ホテルなどが造られており、プーケットやサムイ島に続く新しいエリアとして注目されているらしい。
ホアヒンに行くには、バンコクまで飛行機で行って、鉄道かバスなど陸路を3時間程を費やすというのが普通なのだそうだが、今回は贅沢にエアシャトル(といっても12人乗りの中型セスナ)を利用して、空路向かうことにした。セスナはプロペラ式で尾翼にハチのマークがついてある。ハチのようにフワフワと飛行しそうで正直心配だったのだけど、えーいままよと飛び立ってみると全然そんなことはなく、とても快適な空のオプショナルツアーだった。
行きも帰りも夜だったので、バンコクの夜景をジェット機よりもかなり低空から存分に味わうことができた。空から観たバンコクはとても大きな都市。僕の印象では、伊丹空港に着陸する前に見える大阪の夜景と似た感じである。主要な幹線道路は自動車でぎっしりだった。バンコク空港内も免税店をはじめとする施設が充実していて、世界各国からの観光客で賑わっていた。その様子は、はっきり言って日本の比ではなく、観光産業としてはかなり本格的な印象をもった。
僕らが泊ったのは、ホアヒンの中心部から車でさらに45分ほど南にあるプランブリというエリアに、2004年にオープンした「エヴァソンリゾート」というところ。その中に昨年新たに「エヴァソン・ハイダウェイ」という、50棟程のプール付きのヴィラで構成されたブティックリゾートが出来ていて、今回はその名の通りの素晴らしい「隠れ家」に、まるまる4日間お世話になった。
まあ自分で言うのもなんだが、ここはちょっとした高級リゾートで値段もそれなりである。広大なタイ式の庭園内にいくつかのタイプのヴィラが用意されているつくりになっていて、建物はすべて平屋か二階建て。僕らが泊ったのはその中の「デュプレックス・プールヴィラ・スウィート」というプール付き2階建てのヴィラだった。
ハイダウェイの名に相応しく、すべてのヴィラには大きな木製の門(カギがかかり外からなかは一切見えない)があり、そのドアを通って数歩歩いた向こう側にヴィラの玄関があるという仕組みになっている。完全なプライベートエリアである。
1階にあるリヴィングは20〜30帖程あって、天井は半分が吹き抜けになっている。ダブルベッドを2つくっつけた様な大型のソファがセットされていて、これまた大きなクッションを8個並べても余裕の広さ。これがもうやみ付きになる程の居心地の良さだった。庭のテラスにある6m×3mのプールには日中ずっと水があふれ、プールサイドには2つのクッション付きデッキチェアとパラソル。2階は蚊帳付きキングサイズのダブルベッドと風呂付きのバルコニーというレイアウト。シャワーとトイレは両方の階にある。
部屋に備え付けのタオルや石けん、シャンプー、そして家具にいたるまで、レモングラスの香りがうすくつけられていて、これがなんとも言えない満ち足りて、落ち着いた気分にしてくれる。トイレも半分はガラスで庭と空間を共有するように作られていて、解放的である。
そんなところに来たのだから、何かスゴイことでもするのかと思いきや、今回の目的はただひたすらノンビリするだけ。そのためにお金を払うというのも、考えてみればずいぶん贅沢な話だ。朝起きてビーチを散歩し、リゾート内のロビーで朝飯を食い、ヴィラのプールで水浴びをして、本を読んだりiPodで音楽を聴く。腹が減ったらルームサーヴィスをとるなり、気が向いたらリゾート内のレストランでディナー。部屋のミニバーでシンハービールを飲みまくる、そんな4日間だった。行きの機内で免税のウィスキーを買えばよかったと後悔した。
このリゾート自慢の「シックス・センス・スパ」で、僕ははじめてスパというものを体験した。日光を浴びながらお花を浮かべたアロマ風呂にゆっくりと浸かったり、全身オイルマッサージをじっくりとやってもらった。行く前はちょっと照れくさかったのだが、行ってみると男性客も多く、体験した後は「これはええわ」と納得してしまった。
今回、iPodにお気に入りを一杯詰めて行ったのだが、やっぱりヘッドフォンでずっと聴いているのはあまりいいものではない。いろいろな音楽を聴いたが、どちらかと言えばクラシック音楽をよく聴いた。波とか風とか水の音に加えて、夜にはゲッコー(やもり)をはじめとする動物の鳴き声がしたりと、自然の音を楽しむのも気持ちよかった。
日頃ほとんど本を読まない僕だけど、ゆったりとした時間のなかで何か肩の凝らないものなら、という気持ちになって、珍しく3冊も本を読んでしまった。妻が買った村上春樹の短編集「東京奇譚集」、リゾート内に2カ所あるライブラリで、宿泊客が寄贈した本のなかから、椎名誠の連載エッセイ集「南国かつおまぐろ旅」、そして田宮俊作の自伝「田宮模型の仕事」という内容。どれもそれなりに楽しめた。
それぞれの感想を一言で書いておくなら、村上春樹のは文体や視点、ストーリの展開は相変わらずで面白くないわけではないと思うのだが、昔の作品に比べて時間だけが進んだという印象。椎名誠のはどれを読んでもお酒を飲む元気(?)を与えてくれる逞しさを感じる。そして田宮俊作の半生記はその世界を知る人にしか理解できないところはあると思うが、僕にとっては「仕事というものはこうでなきゃ」という、尊敬の念と羨む気持ちが交錯する内容で、3つのなかではこれが一番面白かった。
僕はリゾートに来たからと言って、その世界にじっとしているだけというのは、正直あまり好きではない。どちらかと言えば、その土地の風土というものをしっかりと見ておきたいと思うタチである。今回もちょっとだけリゾートを抜け出して、海岸沿いを20分程歩いて少し離れたところにある村に足を踏み入れてみたりした。
村の人は英語はわからないし。看板なども全部タイ語でさっぱり読めなかった。懐かしい漁村独特の臭いがして来たと思ったら、ホタルイカよりひとまわり大きいイカを、たくさん天日干しにしているところがあったりして、なかなかの臭いである。あのイカは何になるのかなと思ったのだけど、誰にも聴けなかった。ちょうど近所にあった村の小学校が終業した時刻で、人々の足として定着しているバイク(50〜90cc)に、親子3〜4人で乗り込んで送り迎えする光景が、なんとなく懐かしかった。
できることなら、そのあたりで売っているものを買って食べてみたりもしてみたかったのだが、今回はあまり旅慣れていないこともあって、それについては諦めることにした。観光客向けではない地元向けの屋台とか居酒屋はとてつもなく魅力的なのだが、たぶんリゾート内とは1〜2桁金銭感覚を変えないといけなさそうな様子だった。
ヴィラではバトラーと呼ばれる世話係が、各部屋ごとについている。僕らにもなかなかしっかりとした女性が世話係についてくれた。他に部屋の掃除担当の若い男性が1日2回やってきて、床やテラスを拭いたり(ある意味雑だがまあご愛嬌である)タオルやシーツを替えてくれたり、冷蔵庫のなかのビールやコーヒーの補充をしてくれる。みんなよく教育されているが、基本的にはタイの人らしく素朴な感じで、好感が持てた。
というわけで、散歩というにはあまりにも贅沢な内容であったが、久々の海外旅行ははじめてのことがいろいろありながらも、とてもリラックスすることができ、本当に癒された時間だった。これから月末にかけて仕事が忙しくなることさえなければ、パーフェクトな休暇になったのだが、まあ仕方がない。家に帰っても、レモングラスのアロマを焚いて、あのヴィラの名残を楽しんでいる。いつかまた行く機会があればいいと思う。
(おまけ)旅行中のスナップから何点か...
バンコクからはこのセスナでホアヒンへ飛びます。
ここが全体のエントランスになります。
リヴィングルームにある大きなソファーベッド。最高です。
プールサイドのベッドで読書。
2日に1回、こうしてお庭に水を撒きにきてくれます。手前はダイニングテーブル。
プールサイドのテラスにいるマスコットたち。モグラは靴の汚れを落とすブラシ、カエルは蚊取り線香入れになってます。
ベッドルームです。蚊帳は結局一度も使いませんでした。
エヴァソンは環境への配慮を重視しているようです。シーツを交換する必要がないときは、このヤシの文鎮をベッドの上に乗せておきます。
ディナーはもちろんタイ料理。
玄関灯にいたラッキーシンボルのゲッコー。夜になると独特の鳴き方をします。ヴィラの中には入ってきません。
ビーチを散歩した際に見た日の出。とてもきれいでした。
近くの村にあった飲食店の看板です。さっぱりわかりませんが、中に入ってみたかったです。
リゾート内にある図書室の中。大きなガラス窓の外は素敵なお庭に囲まれています。
図書館ではインターネットにもアクセスできます。
ロビー近くの池に咲いている蓮の花。
ビーチを臨むイタリアンレストランで最後に食べたタイ風のピザ。美味でした。
ぜひ、また行きたいものです。次はいつになることやら。。。
Six Senses Resorts & Spas
行き先はタイ王国の「ホアヒン」というところ。バンコクからマレー半島方面を南に250km程下ったところにある町で、古くからタイ王室の保養地として名の知られたところなのだそうだ。現在では、バンコクに近い高級リゾートとして、ホテルなどが造られており、プーケットやサムイ島に続く新しいエリアとして注目されているらしい。
ホアヒンに行くには、バンコクまで飛行機で行って、鉄道かバスなど陸路を3時間程を費やすというのが普通なのだそうだが、今回は贅沢にエアシャトル(といっても12人乗りの中型セスナ)を利用して、空路向かうことにした。セスナはプロペラ式で尾翼にハチのマークがついてある。ハチのようにフワフワと飛行しそうで正直心配だったのだけど、えーいままよと飛び立ってみると全然そんなことはなく、とても快適な空のオプショナルツアーだった。
行きも帰りも夜だったので、バンコクの夜景をジェット機よりもかなり低空から存分に味わうことができた。空から観たバンコクはとても大きな都市。僕の印象では、伊丹空港に着陸する前に見える大阪の夜景と似た感じである。主要な幹線道路は自動車でぎっしりだった。バンコク空港内も免税店をはじめとする施設が充実していて、世界各国からの観光客で賑わっていた。その様子は、はっきり言って日本の比ではなく、観光産業としてはかなり本格的な印象をもった。
僕らが泊ったのは、ホアヒンの中心部から車でさらに45分ほど南にあるプランブリというエリアに、2004年にオープンした「エヴァソンリゾート」というところ。その中に昨年新たに「エヴァソン・ハイダウェイ」という、50棟程のプール付きのヴィラで構成されたブティックリゾートが出来ていて、今回はその名の通りの素晴らしい「隠れ家」に、まるまる4日間お世話になった。
まあ自分で言うのもなんだが、ここはちょっとした高級リゾートで値段もそれなりである。広大なタイ式の庭園内にいくつかのタイプのヴィラが用意されているつくりになっていて、建物はすべて平屋か二階建て。僕らが泊ったのはその中の「デュプレックス・プールヴィラ・スウィート」というプール付き2階建てのヴィラだった。
ハイダウェイの名に相応しく、すべてのヴィラには大きな木製の門(カギがかかり外からなかは一切見えない)があり、そのドアを通って数歩歩いた向こう側にヴィラの玄関があるという仕組みになっている。完全なプライベートエリアである。
1階にあるリヴィングは20〜30帖程あって、天井は半分が吹き抜けになっている。ダブルベッドを2つくっつけた様な大型のソファがセットされていて、これまた大きなクッションを8個並べても余裕の広さ。これがもうやみ付きになる程の居心地の良さだった。庭のテラスにある6m×3mのプールには日中ずっと水があふれ、プールサイドには2つのクッション付きデッキチェアとパラソル。2階は蚊帳付きキングサイズのダブルベッドと風呂付きのバルコニーというレイアウト。シャワーとトイレは両方の階にある。
部屋に備え付けのタオルや石けん、シャンプー、そして家具にいたるまで、レモングラスの香りがうすくつけられていて、これがなんとも言えない満ち足りて、落ち着いた気分にしてくれる。トイレも半分はガラスで庭と空間を共有するように作られていて、解放的である。
そんなところに来たのだから、何かスゴイことでもするのかと思いきや、今回の目的はただひたすらノンビリするだけ。そのためにお金を払うというのも、考えてみればずいぶん贅沢な話だ。朝起きてビーチを散歩し、リゾート内のロビーで朝飯を食い、ヴィラのプールで水浴びをして、本を読んだりiPodで音楽を聴く。腹が減ったらルームサーヴィスをとるなり、気が向いたらリゾート内のレストランでディナー。部屋のミニバーでシンハービールを飲みまくる、そんな4日間だった。行きの機内で免税のウィスキーを買えばよかったと後悔した。
このリゾート自慢の「シックス・センス・スパ」で、僕ははじめてスパというものを体験した。日光を浴びながらお花を浮かべたアロマ風呂にゆっくりと浸かったり、全身オイルマッサージをじっくりとやってもらった。行く前はちょっと照れくさかったのだが、行ってみると男性客も多く、体験した後は「これはええわ」と納得してしまった。
今回、iPodにお気に入りを一杯詰めて行ったのだが、やっぱりヘッドフォンでずっと聴いているのはあまりいいものではない。いろいろな音楽を聴いたが、どちらかと言えばクラシック音楽をよく聴いた。波とか風とか水の音に加えて、夜にはゲッコー(やもり)をはじめとする動物の鳴き声がしたりと、自然の音を楽しむのも気持ちよかった。
日頃ほとんど本を読まない僕だけど、ゆったりとした時間のなかで何か肩の凝らないものなら、という気持ちになって、珍しく3冊も本を読んでしまった。妻が買った村上春樹の短編集「東京奇譚集」、リゾート内に2カ所あるライブラリで、宿泊客が寄贈した本のなかから、椎名誠の連載エッセイ集「南国かつおまぐろ旅」、そして田宮俊作の自伝「田宮模型の仕事」という内容。どれもそれなりに楽しめた。
それぞれの感想を一言で書いておくなら、村上春樹のは文体や視点、ストーリの展開は相変わらずで面白くないわけではないと思うのだが、昔の作品に比べて時間だけが進んだという印象。椎名誠のはどれを読んでもお酒を飲む元気(?)を与えてくれる逞しさを感じる。そして田宮俊作の半生記はその世界を知る人にしか理解できないところはあると思うが、僕にとっては「仕事というものはこうでなきゃ」という、尊敬の念と羨む気持ちが交錯する内容で、3つのなかではこれが一番面白かった。
僕はリゾートに来たからと言って、その世界にじっとしているだけというのは、正直あまり好きではない。どちらかと言えば、その土地の風土というものをしっかりと見ておきたいと思うタチである。今回もちょっとだけリゾートを抜け出して、海岸沿いを20分程歩いて少し離れたところにある村に足を踏み入れてみたりした。
村の人は英語はわからないし。看板なども全部タイ語でさっぱり読めなかった。懐かしい漁村独特の臭いがして来たと思ったら、ホタルイカよりひとまわり大きいイカを、たくさん天日干しにしているところがあったりして、なかなかの臭いである。あのイカは何になるのかなと思ったのだけど、誰にも聴けなかった。ちょうど近所にあった村の小学校が終業した時刻で、人々の足として定着しているバイク(50〜90cc)に、親子3〜4人で乗り込んで送り迎えする光景が、なんとなく懐かしかった。
できることなら、そのあたりで売っているものを買って食べてみたりもしてみたかったのだが、今回はあまり旅慣れていないこともあって、それについては諦めることにした。観光客向けではない地元向けの屋台とか居酒屋はとてつもなく魅力的なのだが、たぶんリゾート内とは1〜2桁金銭感覚を変えないといけなさそうな様子だった。
ヴィラではバトラーと呼ばれる世話係が、各部屋ごとについている。僕らにもなかなかしっかりとした女性が世話係についてくれた。他に部屋の掃除担当の若い男性が1日2回やってきて、床やテラスを拭いたり(ある意味雑だがまあご愛嬌である)タオルやシーツを替えてくれたり、冷蔵庫のなかのビールやコーヒーの補充をしてくれる。みんなよく教育されているが、基本的にはタイの人らしく素朴な感じで、好感が持てた。
というわけで、散歩というにはあまりにも贅沢な内容であったが、久々の海外旅行ははじめてのことがいろいろありながらも、とてもリラックスすることができ、本当に癒された時間だった。これから月末にかけて仕事が忙しくなることさえなければ、パーフェクトな休暇になったのだが、まあ仕方がない。家に帰っても、レモングラスのアロマを焚いて、あのヴィラの名残を楽しんでいる。いつかまた行く機会があればいいと思う。
(おまけ)旅行中のスナップから何点か...
バンコクからはこのセスナでホアヒンへ飛びます。
ここが全体のエントランスになります。
リヴィングルームにある大きなソファーベッド。最高です。
プールサイドのベッドで読書。
2日に1回、こうしてお庭に水を撒きにきてくれます。手前はダイニングテーブル。
プールサイドのテラスにいるマスコットたち。モグラは靴の汚れを落とすブラシ、カエルは蚊取り線香入れになってます。
ベッドルームです。蚊帳は結局一度も使いませんでした。
エヴァソンは環境への配慮を重視しているようです。シーツを交換する必要がないときは、このヤシの文鎮をベッドの上に乗せておきます。
ディナーはもちろんタイ料理。
玄関灯にいたラッキーシンボルのゲッコー。夜になると独特の鳴き方をします。ヴィラの中には入ってきません。
ビーチを散歩した際に見た日の出。とてもきれいでした。
近くの村にあった飲食店の看板です。さっぱりわかりませんが、中に入ってみたかったです。
リゾート内にある図書室の中。大きなガラス窓の外は素敵なお庭に囲まれています。
図書館ではインターネットにもアクセスできます。
ロビー近くの池に咲いている蓮の花。
ビーチを臨むイタリアンレストランで最後に食べたタイ風のピザ。美味でした。
ぜひ、また行きたいものです。次はいつになることやら。。。
Six Senses Resorts & Spas
1/03/2006
マイルス=デイヴィス「セラー ドア セッションズ 1970」
あけましておめでとうございます。本年も「えぬろぐ」をよろしくお願いします。今年も、日々出会った素晴らしい音楽にのせて、いろいろな自分の体験や考えを書き綴って参ります。
正月の行事は「帰省」だ。正直、面倒くさいと思うこともないわけではない。子供の頃から、年末年始はあまり好きではなかった。凧揚げやカルタを早々に卒業してしまうと、あとはお年玉と学校が休みだというだけで、それ以外はほとんど楽しみがない。むしろ年末の大掃除とか、買い出しとか、何かと忙しいあの雰囲気が嫌いだった。それはいまもあまり変わっていない。
大人になって、酒を飲むという楽しみができた。特に日本酒の味がわかるようになった最近になって、それが正月の楽しみと言えなくもない。でも、やっぱりそれにしたって、正月に帰省して飲む酒が特別なものかと言えば、そんなことはないだろう。おせち料理が素晴らしい日本酒のおつまみであることは認めるが、あれを作る手間も相当なものだ。
田舎で独り暮らしている父親のことは、もちろん気にかかる。でも帰省とそれは少し違うことのようにも思える。また夏休みなど他の時期に帰省するのと、この時期に帰省するのとでは、ずいぶん気分が違う。どこへ行っても雰囲気は同じ。駅や空港に行くとそういう状況がむしろ倍増されているように感じられて、余計に憂鬱である。
仕事仲間で実家やその近所に暮らす人のなかには、「帰る所がある人がうらやましい」と言う人もいる。そこはやはり、自分にないものを羨む人間の常ではないかなと思う。正月はのんびり自宅で過ごす、それがそっと胸の中にしまっているささやかな願いである。
そんなことを思いながらも、今回の帰省はのんびりと過ごせた。幼馴染みの男とその奥様、うちの妻と僕の4人で会食をしたりもした。実家では恒例の「食べもの洪水」にのまれた。実質3日間でおせち以外に、すき焼き、お刺身、お寿司、カレー等々を平らげた。そして、はじめて父親に僕のお手製パスタを食べさせたりもした。少し塩がききすぎたが、美味しいと言ってくれた。
新幹線の品川駅ができ、のぞみ号の増発もあって、帰省は少し楽ちんになった。ネットで座席の予約が出来るのもまったく便利である。そしてiPod。これはやっぱり手放せない。今回は、年末ぎりぎりになって購入した、マイルスの新作をひたすら聴きまくった。
「セラー ドア」とはワシントンD.C.にあったライヴハウスの名前。エレクトリックへの移行を果たしたマイルスのグループは、1970年12月の4日間そこに出演した。この時の演奏記録は、様々な編集が加えられて「ライヴ イーヴィル」という2枚組の作品の一部として発表された。
このアルバムの素晴らしさは言うまでもないが、一方でそのオリジナル音源をそのままの形で聴いてみたいという要望は、マイルスの死後、様々なCDセットが発売されるなかで、着実に高まっていった。僕もその登場を待ち続けた一人である。
今回の作品は、その音源をステージ別に6枚のCDに収録したセットである。内容は当然のことながら素晴らしい。6つのステージは基本的に同じ曲で構成されているが、もちろん演奏内容はまったく異なり、どのステージもエキサイティングだ。発売が発表されてから、実際に発売されるまで少し時間がかかった。アマゾンでの輸入盤価格は8000円台後半、一方でこれに日本語の解説がついただけの国内盤は15000円もする。僕は迷わず輸入盤を選んだ。
アコースティックピアノに比べれば、おもちゃの様な音しか出ないエレキピアノを、これでもかと弾きまくるキース=ジャレット。それまでのマイルスの音楽をひっくり返さんばかりに、ロックビートを叩き続けるディジョネット。最後の2ステージにはマクラフリンも参加する。1970年代=ロックの時代の幕開けにふさわしい「バカ騒ぎ」の記録である。
僕が小学1年生でクリスマスとお正月を心待ちにしていた頃、海の向こうでこんな音楽が鳴り響いていた。35年の時を経て、その音楽は僕に新しい興奮をもたらしてくれる。僕もせめて何かを遺したい、いつものことかもしれないが、何度でもそんな思いを起こさせてくれる、音楽は素晴らしい。
(おまけ)実家近くの駐車場に昔からある立て看板。帰る度に「あれはまだあるかなあ」と気になるのだが、今回も健在であった。おかしな看板だが憎めないやつである。
正月の行事は「帰省」だ。正直、面倒くさいと思うこともないわけではない。子供の頃から、年末年始はあまり好きではなかった。凧揚げやカルタを早々に卒業してしまうと、あとはお年玉と学校が休みだというだけで、それ以外はほとんど楽しみがない。むしろ年末の大掃除とか、買い出しとか、何かと忙しいあの雰囲気が嫌いだった。それはいまもあまり変わっていない。
大人になって、酒を飲むという楽しみができた。特に日本酒の味がわかるようになった最近になって、それが正月の楽しみと言えなくもない。でも、やっぱりそれにしたって、正月に帰省して飲む酒が特別なものかと言えば、そんなことはないだろう。おせち料理が素晴らしい日本酒のおつまみであることは認めるが、あれを作る手間も相当なものだ。
田舎で独り暮らしている父親のことは、もちろん気にかかる。でも帰省とそれは少し違うことのようにも思える。また夏休みなど他の時期に帰省するのと、この時期に帰省するのとでは、ずいぶん気分が違う。どこへ行っても雰囲気は同じ。駅や空港に行くとそういう状況がむしろ倍増されているように感じられて、余計に憂鬱である。
仕事仲間で実家やその近所に暮らす人のなかには、「帰る所がある人がうらやましい」と言う人もいる。そこはやはり、自分にないものを羨む人間の常ではないかなと思う。正月はのんびり自宅で過ごす、それがそっと胸の中にしまっているささやかな願いである。
そんなことを思いながらも、今回の帰省はのんびりと過ごせた。幼馴染みの男とその奥様、うちの妻と僕の4人で会食をしたりもした。実家では恒例の「食べもの洪水」にのまれた。実質3日間でおせち以外に、すき焼き、お刺身、お寿司、カレー等々を平らげた。そして、はじめて父親に僕のお手製パスタを食べさせたりもした。少し塩がききすぎたが、美味しいと言ってくれた。
新幹線の品川駅ができ、のぞみ号の増発もあって、帰省は少し楽ちんになった。ネットで座席の予約が出来るのもまったく便利である。そしてiPod。これはやっぱり手放せない。今回は、年末ぎりぎりになって購入した、マイルスの新作をひたすら聴きまくった。
「セラー ドア」とはワシントンD.C.にあったライヴハウスの名前。エレクトリックへの移行を果たしたマイルスのグループは、1970年12月の4日間そこに出演した。この時の演奏記録は、様々な編集が加えられて「ライヴ イーヴィル」という2枚組の作品の一部として発表された。
このアルバムの素晴らしさは言うまでもないが、一方でそのオリジナル音源をそのままの形で聴いてみたいという要望は、マイルスの死後、様々なCDセットが発売されるなかで、着実に高まっていった。僕もその登場を待ち続けた一人である。
今回の作品は、その音源をステージ別に6枚のCDに収録したセットである。内容は当然のことながら素晴らしい。6つのステージは基本的に同じ曲で構成されているが、もちろん演奏内容はまったく異なり、どのステージもエキサイティングだ。発売が発表されてから、実際に発売されるまで少し時間がかかった。アマゾンでの輸入盤価格は8000円台後半、一方でこれに日本語の解説がついただけの国内盤は15000円もする。僕は迷わず輸入盤を選んだ。
アコースティックピアノに比べれば、おもちゃの様な音しか出ないエレキピアノを、これでもかと弾きまくるキース=ジャレット。それまでのマイルスの音楽をひっくり返さんばかりに、ロックビートを叩き続けるディジョネット。最後の2ステージにはマクラフリンも参加する。1970年代=ロックの時代の幕開けにふさわしい「バカ騒ぎ」の記録である。
僕が小学1年生でクリスマスとお正月を心待ちにしていた頃、海の向こうでこんな音楽が鳴り響いていた。35年の時を経て、その音楽は僕に新しい興奮をもたらしてくれる。僕もせめて何かを遺したい、いつものことかもしれないが、何度でもそんな思いを起こさせてくれる、音楽は素晴らしい。
(おまけ)実家近くの駐車場に昔からある立て看板。帰る度に「あれはまだあるかなあ」と気になるのだが、今回も健在であった。おかしな看板だが憎めないやつである。
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