凄いDVD作品が出たものだ。平日の夜中にもかかわらず、アマゾンから届けられたその日にたまらず観てしまった。観終わってもただひたすら唸るのみ。音楽関連の映像作品では久々の感動である。音楽作品としてよりもドキュメンタリー映画として観るべき作品だろう。
作品は、ジャズトランペット奏者でジャズの帝王と言われたマイルス=デイヴィスが、1960年代の最後に自己の音楽に起こし世に衝撃を与えた大胆な変革(ジャズの世界では「電化(エレクトリック)」と呼ばれている)とその背景をドキュメンタリータッチで描くもので、電化マイルスのグループが1970年にイギリスのワイト島で開催されたミュージックフェスティバルに出演した際の模様が完全収録されている。
DVDは本編80分とボーナストラック40分という構成になっていて、本編の前半40分で様々な証言をもとに、マイルスが遂げたエレクトリックジャズへの変貌の軌跡をたどり、そして35分のワイト島ミュージックフェスティバルのライブ映像、そして3人のミュージシャンがそれぞれにマイルスへのトリビュートを短い演奏で捧げるエピローグで締めくくられる。
なんと言っても凄いのが本編前半の、この演奏に関わった全員を中心に大物ミュージシャンや業界関係者等が、当時を振返ってマイルスとその変革についていろいろな考えや証言を語る部分と、さらにボーナストラックとして収録された、本編から漏れた様々な発言をテーマ別に再構成して収録したインタビュー集である。これがこの作品の中核である。個人的には本編とボーナストラックを合わせた120分の映像作品として考えていいのではないかと思っている。証言はいずれも非常にズシッと来るものばかりだ。引用したいものをあげればきりがないので、ここにはその内容は書かない。是非とも実際に目と耳で確かめていただきたい。
面白いのは、証言者として登場する中に評論家のスタンリー=クローチ氏がいることだ。彼の存在が作品の面白さを一段と深めている。彼は黒人文化としてのジャズを重視する人で、帝王マイルスの変貌に困惑する批評家のなかで唯一はっきりとマイルス批判を展開した人物である。興味のある方は、先のろぐで紹介したウィントン=マルサリスの「マジェスティ オブ ザ ブルース」に収録された、彼のジャズへの想いを綴った長い詩を読んでみるといいだろう。クローチ氏のエレクトリック以降のマイルスに対する現在の想いに関しては、興味あるところだがここでは明言を避けているようだ。
完全収録されたワイト島でのライブパフォーマンス「コール イット エニシング」の演奏内容に関しては、はっきり言って、先に何種類かのCDで発売されている同時期のライブ演奏に比較して、やや劣るものだと思う。この作品の魅力は、パフォーマンスの映像がほぼ完全に収録されているという点にある。もう35年近く前のことだから当たり前なのだが、若々しいチック=コリア、キース=ジャレット、ジャック=ディジョネット、デイブ=ホランド等の姿が存分に楽しめる。会場の雰囲気がプレッシャーなのか終始困惑気味のチック、対照的に与えられた電気オルガンへの不満も出さずに首をまわし続けるキース、当時も変わらず貫禄でドラムを打ち鳴らすジャック、ベース少年そのものの青いデイブ、そしてマイルス。みんな夢の様に素晴らしい。
マイルスのことを知らなくとも、ジャズのことを知らなくとも、音楽のことを知らなくとも、この作品にそんなことは関係ない。いろいろな場所で新しいものを目指そうとするすべての人、とりわけ若い世代の人たちに、是非ともこの作品をご覧になることをお勧めしたい。音楽に限らず、あらゆるシーンにおいて新しい何かを生み出すとはどういうことなのか、その具体的一面がバシっと伝わってくる、まったく素晴らしいドキュメンタリー作品である。
Miles Davis Web Site 公式サイト
11/27/2004
11/20/2004
ブランフォード=マルサリス「フットステップス オブ アワ ファーザーズ」
忙しい一週間だった。なんとか峠は越えたようだが、なんとも後味の悪い越え方だった。そんなことは酒を飲んで音楽を聴いてさっさと忘れるにこしたことはない。しかし、今回の後味の悪さは、どことなく異質なもののように僕の中にとどまっている。
今回はジャズサックス奏者のブランフォード=マルサリスである。このアルバムは2001年12月に録音されたもので、その意味では少し前から書いている21世紀のジャズに相当するものだ。タイトルの意味は「親父たちの軌跡」ということだろう。その通りに内容は、彼自身が敬愛する偉大なるジャズ演奏家4人の作品が収められている。その4人とは、オーネット=コールマン、ソニー=ロリンズ、ジョン=コルトレーンそしてジョン=ルイスだ。「なんだ21世紀って言ったって、昔の曲ばかりじゃないか」ということになる。しかも演奏のスタイルも、すべてオリジナル演奏を彷彿とさせる。しかし、ブランフォードが21世紀の始まりに際してこれを録音したことは、まったくもってある意味新しいことなのだった。彼にとっては非常に大きな転機となった作品だった。
ブランフォードもデビュー後数年を経て、1980年代半ばにリーダー作を弟と同じコロンビアレコードから発表した。「シーンズ イン ザ シティ」と題されたこの作品を聴いた僕は、当時の6畳一間のアパートで「サックスってカッコいいなあ」とつぶやいた。以来、彼のジャズリーダ作はすべて揃えてきた。弟とは異なり、ブランフォードはポップカルチャー指向の一面も持ち合わせていて、ロックやラップなどのアーチストとの共演も多い。有名なのは、スティングがポリスを解散して最初のソロ活動を始める際に結成したグループへの参加だろう。彼を聴いたことがないと思っている人も、当時のスティングの名曲「イングリッシュマン イン ニューヨーク」での彼のソプラノサックスを耳にしている人は多いはずだ。
彼はコロンビアから10枚程のジャズアルバムを発表した。そのほとんどがオリジナル作品で占められている。ウィントンは早くからスタンダーズナンバーの録音にもとり組んでいて、それがシリーズ化していくわけだが、ある意味それが彼なりのポップカルチャーだったのかもしれない。僕は全然そう感じないが、スタンダードのないことがブランフォードのアルバムに取っつきにくいイメージを持たせた一面も否定できない。ちょっとふざけた様な写真をあしらったジャケットの作品もあったが、中身は音楽的にかなりシリアスである。なかでも、コロンビア時代最後の作品となった「コンテンポラリー ジャズ」(写真右)は、僕の愛調盤だ。
その後、ブランフォードはコロンビアレコードからジャズ部門の音楽監督を引き受けてくれというオファーを蹴って、自分のレーベルを設立して独立することになる。十何年間にわたって務めあげてきた大企業には嫌気がさしたようである。そして新たに再出発する第一作となったのがこの作品なのである。コロンビア時代のオリジナル路線がレコード会社の方針だったのかどうかはよくわからない。しかし彼は何らかの理由で過去の作品を演奏せず、ここまでためてきた想いを一気に吹き出している。
作品のライナーノートの最後にもブランフォード自身が「この作品は自分の音楽人生で中核的な位置づけになるものだ」と書いてある。なかでもテナーサックスの2大巨人については、それぞれの最も代表的な組曲を全曲演奏する形で賛辞を捧げている。この2つの組曲を本人以外の演奏家がこういう形で全曲とりあげたのはおそらく初めてであろう。ブランフォードはそれらを、こんな名作を新しいスタイルにリメイクするななんてヤボだよと言わんばかりに、原曲そのままのスタイルで一気に吹き切っている。いずれもはっきり言って壮絶の一語に尽きる。コロンビア時代に十分に発揮されたオリジナリティの積み重ねとあわせて聴いてみると、彼が現代最高峰のテナーの一人であることに誰もが納得するはずだ。
21世紀に入ると同時に人生の転機に立った彼が、一番最初に取組んだことが、先人たちの軌跡をなぞることだった。素晴らしいことだ。CDジャケットで海に向かって果てしなく続く橋の下で、波打ち際の足下を見下ろす彼の姿がとても印象的である。ジャケットを裏返すと、波は満ちて彼の姿はそこにはもういない。再びジャズの橋を歩き始めた彼は、その後も次々と新しい作品を発表している。今度、このアルバムに収録されているコルトレーンの「至上の愛」のライブ演奏を収録したDVDも発売になるらしい。彼もまた来日公演が待ち遠しいアーチストの一人であるだけに、このDVDはうれしい。入手次第、すぐまたとりあげることになるだろう。
ブランフォードが再出発したとき、彼は40歳だった。
Branford Marsalis 公式サイト
今回はジャズサックス奏者のブランフォード=マルサリスである。このアルバムは2001年12月に録音されたもので、その意味では少し前から書いている21世紀のジャズに相当するものだ。タイトルの意味は「親父たちの軌跡」ということだろう。その通りに内容は、彼自身が敬愛する偉大なるジャズ演奏家4人の作品が収められている。その4人とは、オーネット=コールマン、ソニー=ロリンズ、ジョン=コルトレーンそしてジョン=ルイスだ。「なんだ21世紀って言ったって、昔の曲ばかりじゃないか」ということになる。しかも演奏のスタイルも、すべてオリジナル演奏を彷彿とさせる。しかし、ブランフォードが21世紀の始まりに際してこれを録音したことは、まったくもってある意味新しいことなのだった。彼にとっては非常に大きな転機となった作品だった。
ブランフォードもデビュー後数年を経て、1980年代半ばにリーダー作を弟と同じコロンビアレコードから発表した。「シーンズ イン ザ シティ」と題されたこの作品を聴いた僕は、当時の6畳一間のアパートで「サックスってカッコいいなあ」とつぶやいた。以来、彼のジャズリーダ作はすべて揃えてきた。弟とは異なり、ブランフォードはポップカルチャー指向の一面も持ち合わせていて、ロックやラップなどのアーチストとの共演も多い。有名なのは、スティングがポリスを解散して最初のソロ活動を始める際に結成したグループへの参加だろう。彼を聴いたことがないと思っている人も、当時のスティングの名曲「イングリッシュマン イン ニューヨーク」での彼のソプラノサックスを耳にしている人は多いはずだ。
彼はコロンビアから10枚程のジャズアルバムを発表した。そのほとんどがオリジナル作品で占められている。ウィントンは早くからスタンダーズナンバーの録音にもとり組んでいて、それがシリーズ化していくわけだが、ある意味それが彼なりのポップカルチャーだったのかもしれない。僕は全然そう感じないが、スタンダードのないことがブランフォードのアルバムに取っつきにくいイメージを持たせた一面も否定できない。ちょっとふざけた様な写真をあしらったジャケットの作品もあったが、中身は音楽的にかなりシリアスである。なかでも、コロンビア時代最後の作品となった「コンテンポラリー ジャズ」(写真右)は、僕の愛調盤だ。
その後、ブランフォードはコロンビアレコードからジャズ部門の音楽監督を引き受けてくれというオファーを蹴って、自分のレーベルを設立して独立することになる。十何年間にわたって務めあげてきた大企業には嫌気がさしたようである。そして新たに再出発する第一作となったのがこの作品なのである。コロンビア時代のオリジナル路線がレコード会社の方針だったのかどうかはよくわからない。しかし彼は何らかの理由で過去の作品を演奏せず、ここまでためてきた想いを一気に吹き出している。
作品のライナーノートの最後にもブランフォード自身が「この作品は自分の音楽人生で中核的な位置づけになるものだ」と書いてある。なかでもテナーサックスの2大巨人については、それぞれの最も代表的な組曲を全曲演奏する形で賛辞を捧げている。この2つの組曲を本人以外の演奏家がこういう形で全曲とりあげたのはおそらく初めてであろう。ブランフォードはそれらを、こんな名作を新しいスタイルにリメイクするななんてヤボだよと言わんばかりに、原曲そのままのスタイルで一気に吹き切っている。いずれもはっきり言って壮絶の一語に尽きる。コロンビア時代に十分に発揮されたオリジナリティの積み重ねとあわせて聴いてみると、彼が現代最高峰のテナーの一人であることに誰もが納得するはずだ。
21世紀に入ると同時に人生の転機に立った彼が、一番最初に取組んだことが、先人たちの軌跡をなぞることだった。素晴らしいことだ。CDジャケットで海に向かって果てしなく続く橋の下で、波打ち際の足下を見下ろす彼の姿がとても印象的である。ジャケットを裏返すと、波は満ちて彼の姿はそこにはもういない。再びジャズの橋を歩き始めた彼は、その後も次々と新しい作品を発表している。今度、このアルバムに収録されているコルトレーンの「至上の愛」のライブ演奏を収録したDVDも発売になるらしい。彼もまた来日公演が待ち遠しいアーチストの一人であるだけに、このDVDはうれしい。入手次第、すぐまたとりあげることになるだろう。
ブランフォードが再出発したとき、彼は40歳だった。
Branford Marsalis 公式サイト
11/14/2004
デイヴ=ホランド・クィンテット「エクステンデッド プレイ」
このところ仕事が少し忙しくなり、不覚にも休日にまで仕事をしなければならないハメになってしまった。この調子では「ん〜えぬろぐもさすがに今週はお休みかな〜」、というところなのかもしれないが、僕に音楽のない1週間などあるはずもないから、そうは言っていられない。
忙しいにもかかわらず、先日仕事であるセミナーに参加し、その帰りに忙しさを気にしつつも同じ会社から参加した面々で六本木で一杯やって帰ることにした。その中に、今年入社したばかりだという人がいて、話をしていくうちに学生時代(彼はほんの数ヶ月前までは学生だったのだ!)に、ハードロックバンドを結成して、ギターとヴォーカルを担当していたのだということがわかり、少し音楽の話もすることができた。僕とは17〜8歳離れているはずなのだが、彼が一昔前のロックを熱心に聴いていたので、浦島太郎にはならずに済んだ。その彼に、翌日このろぐを読んでもらったところ、就職してしばらく音楽から離れていたのが、また聴いてみようという思いを取り戻したように感じた、というような意味の感想を送ってくれて、なんだか嬉しくなった。今回も頑張ってろぐを書いてみようと思う。
今年の夏に「東京ジャズ2004」というイベントが開催された。僕はこの手のジャズフェスというやつをもう長いこと観に行っていない。最近では、ジャズの現状をよく反映していて、実に様々なアーチストが出演する。今年はなぜかあの「TOTO」が出演した。まあそれはそれで楽しいのではないだろうか。この模様は先日NHKの衛生放送でもダイジェストで放映され、僕はそれを録画して楽しんだ。
これを観ながら気づいたのは、ここで演奏されているのが「21世紀の音楽」だということ。その意味で、僕の聴いている音楽、えぬろぐで紹介しているものも含めて、21世紀の音楽が少ないことが気になった。まあ、まだ21世紀になって4年も経っていないのだから当たり前なのかもしれないが、いくつかの若手演奏家たちの音楽はもちろん、20世紀から引き続き活躍しているアーチストも含め、そろそろ新しい動きが出て来ているのかな、ということを漠然と感じた番組だった。若手は皆テクニックはもう完璧である。そして音楽性も豊かである。でももちろん新しいだけではいいものにはならないことは、彼ら自身もよくわかっている。その意味でこういう大御所も出演するイベントへの参加は、なかなかプレッシャに違いない。
僕が聴いたなかで、さすがだなと感じたのは、ヴォーカルのダイアン=リーヴスが率いるグループ。ドラムのグレッグ=ハッチンソンは、まだ34歳だがここではもう立派なお兄さんである。なかなか貫禄の演奏だった。そして、正体不明のリオーネル=ルエケというギタリスト。このイベントのトリであるハービー=ハンコックとウェイン=ショーター等によるクゥアルテットで、ショーターの名曲「フットプリンツ」に飛び入りで演奏していたが、演奏全体としての出来はともかく、なんとも言えぬ新しいスタイルの演奏だった。そして僕にとっての最大の目玉が、今回紹介するベースのデイヴ=ホランドの出演だった。テレビで放送された演奏について言えば、バンドとしてのまとまりは必ずしもいい感じではなかったが(特に最後の出演者全員によるスーパーセッションはハッキリ言ってサムかった)、彼のベースの醍醐味は随所に現れており、その意味では満足の内容であった。
デイヴ=ホランドは僕にとってベースのアイドルである。彼の演奏が素晴らしいのはもちろん、作曲やプロデューサとして表現される音楽そのものが、僕にとっては「理想のジャズ」である。CDを探していてメンバーに彼の名前を発見すると、僕の中ではそれだけでプライオリティが上がってしまう。生でも彼の演奏は少なくとも3回観ている。彼について書き出すともう止まらなくなるので、端的に彼の何がそんなにいいのかといえば、彼がフリーからメインストリームまで幅広いミュージシャンから敬愛されていること、そして彼自身がしっかりと持つオリジナリティ溢れる音楽性である。決して何でも屋ではなく、安易なジャンルの混ぜ合わせにも走らず、これは揺るぎない自身の音楽感がなければできないはず。彼のアルバムはいつ聴いても新しい発見をもたらしてくれる。
今回の作品は現時点での最も新しい彼のグループのライブ演奏を2枚のCDに収録したものである。これは1996年のアルバム「ドリーム オブ ジ エルダース」から始まるユニットの集大成と言える作品である。僕が思うに、これは最も現代的でありまた伝統的でもある「現代のジャズ」の姿だ。いま21世紀のジャズとは、と問われれば僕はためらわずにこの作品を推薦したい。サックス、トロンボーン、ヴァイブラフォン、ドラムの若手4人の演奏も最高である。このグループでの来日公演が待ち遠しい。
Dave Holland 公式サイト
忙しいにもかかわらず、先日仕事であるセミナーに参加し、その帰りに忙しさを気にしつつも同じ会社から参加した面々で六本木で一杯やって帰ることにした。その中に、今年入社したばかりだという人がいて、話をしていくうちに学生時代(彼はほんの数ヶ月前までは学生だったのだ!)に、ハードロックバンドを結成して、ギターとヴォーカルを担当していたのだということがわかり、少し音楽の話もすることができた。僕とは17〜8歳離れているはずなのだが、彼が一昔前のロックを熱心に聴いていたので、浦島太郎にはならずに済んだ。その彼に、翌日このろぐを読んでもらったところ、就職してしばらく音楽から離れていたのが、また聴いてみようという思いを取り戻したように感じた、というような意味の感想を送ってくれて、なんだか嬉しくなった。今回も頑張ってろぐを書いてみようと思う。
今年の夏に「東京ジャズ2004」というイベントが開催された。僕はこの手のジャズフェスというやつをもう長いこと観に行っていない。最近では、ジャズの現状をよく反映していて、実に様々なアーチストが出演する。今年はなぜかあの「TOTO」が出演した。まあそれはそれで楽しいのではないだろうか。この模様は先日NHKの衛生放送でもダイジェストで放映され、僕はそれを録画して楽しんだ。
これを観ながら気づいたのは、ここで演奏されているのが「21世紀の音楽」だということ。その意味で、僕の聴いている音楽、えぬろぐで紹介しているものも含めて、21世紀の音楽が少ないことが気になった。まあ、まだ21世紀になって4年も経っていないのだから当たり前なのかもしれないが、いくつかの若手演奏家たちの音楽はもちろん、20世紀から引き続き活躍しているアーチストも含め、そろそろ新しい動きが出て来ているのかな、ということを漠然と感じた番組だった。若手は皆テクニックはもう完璧である。そして音楽性も豊かである。でももちろん新しいだけではいいものにはならないことは、彼ら自身もよくわかっている。その意味でこういう大御所も出演するイベントへの参加は、なかなかプレッシャに違いない。
僕が聴いたなかで、さすがだなと感じたのは、ヴォーカルのダイアン=リーヴスが率いるグループ。ドラムのグレッグ=ハッチンソンは、まだ34歳だがここではもう立派なお兄さんである。なかなか貫禄の演奏だった。そして、正体不明のリオーネル=ルエケというギタリスト。このイベントのトリであるハービー=ハンコックとウェイン=ショーター等によるクゥアルテットで、ショーターの名曲「フットプリンツ」に飛び入りで演奏していたが、演奏全体としての出来はともかく、なんとも言えぬ新しいスタイルの演奏だった。そして僕にとっての最大の目玉が、今回紹介するベースのデイヴ=ホランドの出演だった。テレビで放送された演奏について言えば、バンドとしてのまとまりは必ずしもいい感じではなかったが(特に最後の出演者全員によるスーパーセッションはハッキリ言ってサムかった)、彼のベースの醍醐味は随所に現れており、その意味では満足の内容であった。
デイヴ=ホランドは僕にとってベースのアイドルである。彼の演奏が素晴らしいのはもちろん、作曲やプロデューサとして表現される音楽そのものが、僕にとっては「理想のジャズ」である。CDを探していてメンバーに彼の名前を発見すると、僕の中ではそれだけでプライオリティが上がってしまう。生でも彼の演奏は少なくとも3回観ている。彼について書き出すともう止まらなくなるので、端的に彼の何がそんなにいいのかといえば、彼がフリーからメインストリームまで幅広いミュージシャンから敬愛されていること、そして彼自身がしっかりと持つオリジナリティ溢れる音楽性である。決して何でも屋ではなく、安易なジャンルの混ぜ合わせにも走らず、これは揺るぎない自身の音楽感がなければできないはず。彼のアルバムはいつ聴いても新しい発見をもたらしてくれる。
今回の作品は現時点での最も新しい彼のグループのライブ演奏を2枚のCDに収録したものである。これは1996年のアルバム「ドリーム オブ ジ エルダース」から始まるユニットの集大成と言える作品である。僕が思うに、これは最も現代的でありまた伝統的でもある「現代のジャズ」の姿だ。いま21世紀のジャズとは、と問われれば僕はためらわずにこの作品を推薦したい。サックス、トロンボーン、ヴァイブラフォン、ドラムの若手4人の演奏も最高である。このグループでの来日公演が待ち遠しい。
Dave Holland 公式サイト
11/06/2004
ローヴァ「サクソフォン ディプロマシー」
前回は、最近サックスのいい作品にお目にかかれない、ということで1980年代ジャズの懐メロ(?)作品について書いてみた。あの作品はもちろんサックス奏者のリーダー作としては画期的なものなのだけど、そうは言っても、いま僕が聴きたいと思っているサックスとはやはり違っている。そういうふうに、急にわいて出てきた欲求を満たそうと、日本では祝日になっている11月3日の文化の日に、CDを求めて渋谷に出かけてみた。
渋谷の中古CD屋さんは大抵、開店時間が午前11時30分である。個人的には休みの日くらいは午前10時からやって欲しいのだけど、そこはやはり若者の街、夜の街である。開店直後に入ってみると、熱心なマニア達が相変わらずそこにたむろっている光景に、これはいいものが見つかるかもしれないという期待が高まる。確かに、最近聴いてきたものに関連したものでも、良さそうなものがいろいろとあった。ビル=エヴァンスの最後のトリオによるライブ演奏を集めたボックスセットにも惹かれた。トニー=ウィリアムスのライフタイム初期の名作も、しばらくは手にキープしながら他の棚を漁った。一昔前の僕なら両方同時に買っていたとしても不思議ではない。
結局は、諸事情を考慮したうえで、中古CDは1枚に絞った。それが今回の作品である。これを買ってお店を出た僕は、帰路につきながら心の中でわれながらに思わず苦笑してしまった。「あれだけいろいろなものがあったのに、よりによってなんでこんなのを選ぶかな〜。あんたも好きだねぇ。」という感じだろうか。
ローヴァはユニットの名称で、正式には「ローヴァ・サクソフォン・クァルテット」という。その名の通り4人編成のユニットなのだが、ここでいうサクソプォン・クァルテットの意味は、サックスとリズムセクションという一般的なジャズコンボではなく、クラシックのストリング・クァルテット(弦楽四重奏団)と同様のスタイル、つまりサックスが4人という編成である。他にはピアノもドラムもいない。ある程度ジャズを聴いている人なら、デヴィッド=マレイやオリヴァー=レイク等黒人フリージャズの名手4人で編成された同様のユニット「ワールド・サクソフォン・クァルテット(WSQ)」を思い出される方もいるだろう。ローヴァは、ジョン=ラスキン、ラリー=オッシュ等白人のヨーロピアン・フリージャズシーンで活躍する4人が集まってできたユニットである。別にWSQに対抗してできたわけではないと思うのだが。
僕はWSQもローヴァも結構好きで、それぞれ2,3枚CDを持っている。WSQは1980年代後半からは、ちょっとコマーシャルな路線でも活動して、デューク=エリントンの作品集を発売したり、日本のジャズフェスティバルやブルーノートに出演したりした時期もあった。2つのユニットは現在もまだ活動を続けており、新作のリリースもあるようだ。僕はやはりスタンダード曲をベースに演奏するよりも、フリー系のオリジナル作品を中心にサックス4本でバリバリとやる彼等元来のスタイルが好きである。
今回の作品のジャケットには、クレムリンの赤の広場を行進するソ連軍の写真が使われている。この作品は1983年に行われた、ローヴァの伝説的東欧ツアーの模様を記録したものである。タイトルを直訳するとズバリ「サックス外交」ということになる。内容は4本のサックスが時に仲良く、楽しく、美しく、そして時に自由に、大暴れという、サックスという楽器とそれによる音楽スタイルの醍醐味とが一杯に詰まった、とても気持ちよいものである。同時に作品を聴いてみて、当初冗談めいていると思ったこのタイトルの意味深さに、少々恐れ入ってしまった。
サクソフォンという楽器は歴史が新しく、いわゆるクラシック音楽がピークにあった19世紀にはまだ原型とも言えるものすら存在しなかった。従ってサックスを前提にしたクラシック作品は20世紀になって少し存在するだけで、クラシック界ではピアノ、ヴァイオリン、フルートなどに比べれば全く影が薄い存在である。そしてこの楽器は、20世紀の音楽をリードしたアメリカにおいて、特にブラックミュージックを象徴するものとして世界に広まっていくことになった。その音楽はもちろんジャズである。ジャズは、モダンジャズ以降アドリブを重視するスタイルになり、その一部はさらなる「自由」を求めてフリージャズへと発展していった。サックスという楽器ほど、楽譜を見ながら演奏するというスタイルが似合わない楽器もないかもしれない。
そんなサックスを抱えた4人の若者が、1983年の夏にモスクワ、リガ(現ラトヴィアの首都)、ルーマニアなど冷戦続く共産主義諸国の街に突如として現れ、文字通り「自由」な音楽を謳歌したわけである。アメリカンミュージックがいわば敵性音楽であり、流通が大きく制限されていた当時の状況を考えれば、東欧の人にはこのサックスという楽器自体が珍しく、しかもフリージャズという自由にスタイルが変化していく音楽は、かなり衝撃的であったに違いない。CDには演奏の盛り上がりとともに、音楽に熱狂して高揚する聴衆の様子もしっかり収録されていて、感動的である。
こうして、僕の「思う存分サックスが聴きたい!」という欲求は、この作品によって満たされることとなった。もしかしたら、僕自身も日常のどこかに何か閉塞的なところがあったのはかもしれない。そんなもやもやを気持ちよく吹き飛ばしてくれたローヴァの作品との偶然の出会いに感謝だ。おかげで、また押し入れにしまってある箱から引っ張りさねばならないCDが数枚できてしまったようだ。めでたし、めでたし。
r o v a 公式サイトーなんと12月に来日するそうです!
渋谷の中古CD屋さんは大抵、開店時間が午前11時30分である。個人的には休みの日くらいは午前10時からやって欲しいのだけど、そこはやはり若者の街、夜の街である。開店直後に入ってみると、熱心なマニア達が相変わらずそこにたむろっている光景に、これはいいものが見つかるかもしれないという期待が高まる。確かに、最近聴いてきたものに関連したものでも、良さそうなものがいろいろとあった。ビル=エヴァンスの最後のトリオによるライブ演奏を集めたボックスセットにも惹かれた。トニー=ウィリアムスのライフタイム初期の名作も、しばらくは手にキープしながら他の棚を漁った。一昔前の僕なら両方同時に買っていたとしても不思議ではない。
結局は、諸事情を考慮したうえで、中古CDは1枚に絞った。それが今回の作品である。これを買ってお店を出た僕は、帰路につきながら心の中でわれながらに思わず苦笑してしまった。「あれだけいろいろなものがあったのに、よりによってなんでこんなのを選ぶかな〜。あんたも好きだねぇ。」という感じだろうか。
ローヴァはユニットの名称で、正式には「ローヴァ・サクソフォン・クァルテット」という。その名の通り4人編成のユニットなのだが、ここでいうサクソプォン・クァルテットの意味は、サックスとリズムセクションという一般的なジャズコンボではなく、クラシックのストリング・クァルテット(弦楽四重奏団)と同様のスタイル、つまりサックスが4人という編成である。他にはピアノもドラムもいない。ある程度ジャズを聴いている人なら、デヴィッド=マレイやオリヴァー=レイク等黒人フリージャズの名手4人で編成された同様のユニット「ワールド・サクソフォン・クァルテット(WSQ)」を思い出される方もいるだろう。ローヴァは、ジョン=ラスキン、ラリー=オッシュ等白人のヨーロピアン・フリージャズシーンで活躍する4人が集まってできたユニットである。別にWSQに対抗してできたわけではないと思うのだが。
僕はWSQもローヴァも結構好きで、それぞれ2,3枚CDを持っている。WSQは1980年代後半からは、ちょっとコマーシャルな路線でも活動して、デューク=エリントンの作品集を発売したり、日本のジャズフェスティバルやブルーノートに出演したりした時期もあった。2つのユニットは現在もまだ活動を続けており、新作のリリースもあるようだ。僕はやはりスタンダード曲をベースに演奏するよりも、フリー系のオリジナル作品を中心にサックス4本でバリバリとやる彼等元来のスタイルが好きである。
今回の作品のジャケットには、クレムリンの赤の広場を行進するソ連軍の写真が使われている。この作品は1983年に行われた、ローヴァの伝説的東欧ツアーの模様を記録したものである。タイトルを直訳するとズバリ「サックス外交」ということになる。内容は4本のサックスが時に仲良く、楽しく、美しく、そして時に自由に、大暴れという、サックスという楽器とそれによる音楽スタイルの醍醐味とが一杯に詰まった、とても気持ちよいものである。同時に作品を聴いてみて、当初冗談めいていると思ったこのタイトルの意味深さに、少々恐れ入ってしまった。
サクソフォンという楽器は歴史が新しく、いわゆるクラシック音楽がピークにあった19世紀にはまだ原型とも言えるものすら存在しなかった。従ってサックスを前提にしたクラシック作品は20世紀になって少し存在するだけで、クラシック界ではピアノ、ヴァイオリン、フルートなどに比べれば全く影が薄い存在である。そしてこの楽器は、20世紀の音楽をリードしたアメリカにおいて、特にブラックミュージックを象徴するものとして世界に広まっていくことになった。その音楽はもちろんジャズである。ジャズは、モダンジャズ以降アドリブを重視するスタイルになり、その一部はさらなる「自由」を求めてフリージャズへと発展していった。サックスという楽器ほど、楽譜を見ながら演奏するというスタイルが似合わない楽器もないかもしれない。
そんなサックスを抱えた4人の若者が、1983年の夏にモスクワ、リガ(現ラトヴィアの首都)、ルーマニアなど冷戦続く共産主義諸国の街に突如として現れ、文字通り「自由」な音楽を謳歌したわけである。アメリカンミュージックがいわば敵性音楽であり、流通が大きく制限されていた当時の状況を考えれば、東欧の人にはこのサックスという楽器自体が珍しく、しかもフリージャズという自由にスタイルが変化していく音楽は、かなり衝撃的であったに違いない。CDには演奏の盛り上がりとともに、音楽に熱狂して高揚する聴衆の様子もしっかり収録されていて、感動的である。
こうして、僕の「思う存分サックスが聴きたい!」という欲求は、この作品によって満たされることとなった。もしかしたら、僕自身も日常のどこかに何か閉塞的なところがあったのはかもしれない。そんなもやもやを気持ちよく吹き飛ばしてくれたローヴァの作品との偶然の出会いに感謝だ。おかげで、また押し入れにしまってある箱から引っ張りさねばならないCDが数枚できてしまったようだ。めでたし、めでたし。
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