5/30/2004

アレクサンドル=クニャゼフ「バッハ:無伴奏チェロ組曲」

Alexander Kniazev: この1週間、妻が仕事で海外に出かけてしまい、僕にとってはしばらく独身に戻ったような時間を過ごした。こういう機会はこれまでにもなかったわけではない。で、その度に、さて独りになったならそれはそれ、なにかちょっとはじけてみるか、とか考えたりもするのだが、結局、落ち着く先はいつも決まって、酒と音楽になる。確かに、独身の頃と比べて一番大きく変わったのは、誰とのおつきあいでもなく、それらとの関わりでの時間の使い方である。

 ともかく、この1週間は1日だけ会社の仲間たちと遊びに行ったのを除けば、ほぼ毎日仕事からまっすぐ帰って、さっさと食事とシャワーを済まして、毎晩遅くまで音楽を聴いて酒を飲んだ。シャワーを出て軽くビールで喉を潤したら、以後に飲む酒は最近はもっぱら焼酎が多くなった。巷で流行の理由はよくわからないが、僕の場合は、以前に会社の後輩が我が家に遊びにきてくれた際に、奥さんの故郷である奄美大島の黒糖焼酎「里の曙」を手みやげとしていただき、それ以来その味にハマり込んでしまったのだ。幸いにも近所のスーパーでそれを取り扱っていて、すっかり「またですかー」と自分で口にしながら、カゴにいれてレジに向かっている。甘みがあってクセもなく、糖分が少ないとくれば、悪酔いもせず気持ちよく楽しめる。おつまみの音楽もどんどん進むわけだ。

 音楽は、ここしばらくはジャズ一辺倒になり、相変わらずコルトレーンとその周辺の音楽を中心に聴いていたのだが、タワーレコードがクラシックとジャズ部門を中心に発行しているフリーペーパー"ミュゼ"を読んでいて、気になって購入したクラシックのCDが、なかなか衝撃的な内容で、僕の中でちょっと流れを変えつつある。それが今回の作品である。

 バッハの「無伴奏チェロ組曲」はおなじみの人も多いことと思う。知らないなあという人でも、第1番の第1曲(プレリュード)の冒頭を聴けば、「ああこれね」とうなづくに違いない。すべて無伴奏のチェロ1本で奏でられる6つの組曲集で、ベートーベンのチェロソナタとあわせて「チェロのバイブル」と言われている。ほとんどのチェロ演奏者にとって、大きな目標となる作品集である。少し前には、サックス奏者の清水靖晃氏が、全曲サックスだけで本作を演奏した作品集が発表され、テレビCFにも使われたりして話題になった。

 僕はまだ学生の頃に、ヨーヨー=マが若くして録音した全集を購入して一頃よく聴いていた。1回聴いただけでチェロという楽器の魅力に取り憑かれてしまった。天才チェロ奏者として、いまや幅広い活躍をしている彼が、若くして早々とこの全集を発表したことは当時相当話題になったらしい。彼の演奏は「さらりと弾いてのける」というような華麗な感じで、ある意味とても聴きやすいものだった。

 僕は、この音楽にずっとそれなりにこだわり続けている。楽譜も買った。ベースでちょろっと演奏してみたりもした。ヨーヨー=マ以外にも、パブロ=カザルスやムスティスラフ=ロストロポービッチといったチェロの大家の録音や、ギター演奏家の山下和仁が全編ギターで演奏した録音も持っている。でも一番よく聴いたのはやはり最初に聴いたヨーヨー=マのものだ。彼は1990年代後半に再度この作品を録音しているが、僕はお店で聴いただけで買わなかった。僕はもうこれ以上この作品に興味を持たないかなと思っていた。ただ、少し前に久しぶりにそのCDを聴いてみて、「あれ、こんな演奏だったっけ」というなにか物足りなさみたいなものを感じていたところだった。まあ言ってしまえば歳のせいなのかもしれない。

 そこへ、ロシアのチェロ奏者アレクサンダー=クニャゼフによる演奏のことを知った。はじめて名前を聞いた演奏家だった。僕が情報誌の紹介記事を見て興味を持ったのは、この人の演奏は曲によって非常に時間を長くかけてゆっくりと演奏されているということだった。他の大抵の演奏家の録音がCD2枚組で発表されているのに、この録音はCD3枚となっている。最終曲の第6番だけが3枚目に収録されているのだが、なんとそれだけで40分もかけている。3枚合計の演奏時間は2時間40分になる。それが僕が少し前にヨーヨー=マの演奏を聴いて感じた物足りなさを、埋めてくれるような気がしたのである。

 結果は大正解だった。僕は土曜日に開港祭でにぎわう横浜に出かけて、そこのタワーレコードでこれを購入した。家に帰ったのは夕方だったが、先ず夕食前に3枚を通して聴いた。彼のチェロの音がとても厚みがあり深い音色である。速いパッセージを華麗に弾きこなすヨーヨー=マとはずいぶん異なるが、とにかく引き込まれるような音色なのだ。スピードは似合わない。ゆっくりとした曲でその真価を発揮するという感じにいまのところは聴こえる。近所のラーメン店にキムチチャーハンを食べに出かけて、すぐまた帰ってきてそそくさとシャワーを浴び、早々に飲み始めてまた3枚を通して聴いた。うーん、素晴らしい。さて夜も更けて日付も変わった、他に何を聴こうかなと考えてみたが、結局またまた聴いてしまった。後から考えれば自分でもあきれた話だが、確かにこういう時間はなかなか過ごせるものではない。たまたま与えられた機会だったわけだが、酒だけでなく新しい音楽とも出会い、それを充実して過ごすことができた。よい休日だった。

 どこかで読んだ話だが、クラシック音楽のオーケストラメンバーに「あなたがいま担当している楽器以外に、何か楽器を演奏するとしたら何をやりたいか」と質問したら、多くの人がチェロと答えるのだそうだ。僕自身もできることならやってみたいが、住宅事情の問題があるのでいまだに手が出せないでいる。チェロの魅力は、その楽器が持つ音域と、弓による演奏の表現力だろうと思う。一言でいえばいろいろな意味で人間的な楽器とも思える。それはメカニカルなものではなく、このクニャゼフの演奏が表しているような懐の深いような、優しく暖かいようなものだ。なにかの栄養不足を満たしてもらえたような気がした。

 ちなみにこの情報誌"ミュゼ"は、毎奇数月の20日にタワーレコードの店頭で発行されるもので、クラシック、ジャズ、映画を中心に、なかなかいいセンスでそれらの芸術の最新の売り物を紹介してくれる。フリーペーパーというにはもったいないくらいの中身の濃さであり、僕も音楽を捜すうえでよくお世話になっている。僕は大抵、これを店頭でもらって帰ると、2、3日後には、お買い物リストに10タイトル程度が簡単にリストアップされてしまう。その意味では、発行者の意図はどんぴしゃというところだろうか。まあ今回の件はやはりこれに感謝しなければいけないだろう。

Alexander Kniazev,cellistアレクサンドル=クニャーゼフ(バイオグラフィやレパートリー一覧など)

5/23/2004

エルビン=ジョーンズ「ライブ アット ザ ライトハウス」

前回のろぐでジョン=コルトレーンについて書いてしまい、おそらくそうなるだろうなと予感はしてはいたが、やはりしばらくの間は聴く音楽がコルトレーンばかりになった。これは僕にとってはいつものことで、2回続けてコルトレーンを取り上げることになるかなと思っていたところに、何の因果か、哀しいニュースがやってきてしまった。ジャズ・ドラム奏者の、エルビン=ジョーンズ氏が、2004年5月18日に亡くなられた。この訃報は日本国内の一般紙やスポーツ紙でも「ジャズ・ドラムの神様、逝く」などと報じられ、改めて底堅い人気ぶりが伺えた。

エルビンはジョン=コルトレーンのグループでその音楽の重要な時期を共に創りあげた人で、前回のろぐで書いたところの、第2の頂点「ジャイアント・ステップス」の直後から、「至上の愛」に至る第3の頂点の直後までのおよそ5年間を共にした人物である。この間に録音された作品は駄作なしと言われる程の名盤揃いで、非公式なライブ録音含めCDにして実に30枚近い演奏が世に出ている。コンサートではコルトレーンとエルビンが激しく競り合うように演奏する場面が話題になった。僕も最初にコルトレーンに熱狂したのはこの時期の演奏だった。

というわけで、今回はそのエルビン=ジョーンズの作品を紹介することにします。

たくさんのお魚が灯台を目指して方々から集まってくると言う、ユニークなジャケットのこの作品は、コルトレーンのグループを離れ、彼の死にも遭遇したエルビンが、いろいろな精神的、音楽的模索を続けた後に、ようやくそれをはっきりと受け止め、音楽スタイルとして確立することができた作品と言っていいと思う。

詳しくは書けないが、エルビンがコルトレーンのもとを去るに至った経緯は、いろいろな意味での芸術家の道の厳しさそのものを現した出来事であった。僕は、先にも書いたように、その後のコルトレーンが後退したり、失敗したとは全く思っていない。逆に、エルビン等優秀なパートナーの脱退を乗り越えて、また別の意味での新たな頂点を極めたのは、やはり彼の凄さだと思っている。対照的に、その後のエルビンは、いくつかの作品を発表してはいるが、内容はあまりぱっとせず、この作品に至るまで苦悩と模索の時代が続いたのである。まあ変な例えだが、異動や転職などの人生の転機と、それにまつわる様々な人間ドラマの一つと考えればわかりやすいのではないだろうか。

前回のろぐで紹介した、「ジャズ批評」誌のコルトレーン特集号に、エルビンへのインタビューが収録されている。昔の思い出をいろいろと語っていたエルビンが、話がコルトレーンの死のことになると、途端におかしくなってしまう様子が描かれている。彼の妻で日本人のケイコさんがフォローして、「エルビンはジョン(コルトレーン)のことを語るのがなによりも辛いのです。あの日(コルトレーンが死んだ日)、エルビンは私の前からも姿を消して、何日も家に帰って来ませんでした。その間、彼はきっと狂ったようになってしまって、どこかを彷徨っていたに違いないのです」というような言葉を語っている。

エルビンはこの作品以降、「ジャズ・マシーン」という名のグループでの活動をスタートさせ、自分が共に創り上げたコルトレーンの音楽を継承しつつ、それをベースにジャズを発展させることに注力し続けた。コルトレーン派と言われるサックス奏者2名メインに据え、若手を登用して育てることも怠らなかった。この作品がある意味でジャズ・マシーンの出発点になっていることは明らかだが、結局、僕の個人的な意見だが、この作品の内容を超えるものは出なかったと思う。それほど、この作品での演奏内容は凄まじく激しいのである。エルビンの快演はいうまでもなく、それを導き出す2人のサックス奏者(デイブ=リーブマンとスティーブ=グロスマン)の激しい演奏は、まさにコルトレーンが2人いるようなもので、僕は先のコルトレーンの「ライブ・イン・ジャパン」と対をなす、エルビンの総決算的作品であると思う。

この作品は当初LP2枚で発表さていたが、1990年にはじめてCDでリリースされた際には、未発表になっていたすべての音源を復活させ、当夜に実際に演奏された順番に並べられ、CD2枚に150分の演奏を詰め込んだ超お得盤として発表された。僕は移転前の渋谷のタワーレコードでこのCDを発見し、買うつもりで手にしていた3枚のCDをすぐに返してこれを買って帰ったのをよく覚えている。残念ながら、現在はこのCDは廃盤で、その後日本で再発売された際も、もとのLPと同じ内容でしかなかった。現在は、ブルーノートの作品を中心にした全集企画で有名なモザイクレコードから、エルビンのブルーノート時代のすべての音源を収録した全集が5000セット限定で発売されており、その中でこれらの演奏を楽しむことができる。

僕は、1991年頃だったと思うのだが、東京青山にあるブルーノート東京(現在の場所に移転する前のお店)で、彼のグループを聴きにいき、間近で彼のドラミングを感じることができた。この時の演奏は後にNHKの衛星放送でオンエアされ、僕はそのテープをいまでも大切にもっている。まあともかく、ドラムやシンバルを叩けばそれが風になって感じられる位の距離だったので、なにか変な言い方だが、彼のドラムを肌の感覚で覚えているという感じである。楽器に振り下ろされる彼のスティックを見ながら「あれが頭のうえに振り下ろされたら俺は死ぬ」と正直思った。

よくピアノやサックスがリーダー格になっているグループについて、ドラムやベースは「サイドメン(脇役)」と表現される。この演奏におけるエルビンは明らかにそうではないし、コルトレーンのグループにおいてもそうではないと思う。僕の友人のサックス奏者は、彼のそうしたドラム演奏について、「リーダーとしてひとつの音楽の場を提供している」というような表現をしたが、まさにそうだと思う。曲によっては先にドラムソロをやってしまうのもそういうことの現れと思う。そうして提示された場に、サックスを持って乗っかってしまったら最後、恐ろしいまでのリーダーシップで煽り立てられ、簡単には降ろしてくれない。それがこの演奏の醍醐味である。もちろん彼がサイドメンとして参加した録音はたくさんあるし、そこでの彼の演奏はまた別ものである。

この作品が収録された日はエルビンの誕生日で、Vol.2の冒頭、メンバーと観客による「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」の和やかな合唱が収録されている。ジャケットにある灯台がエルビンなのかコルトレーンなのか、それはどちらでもいいかもしれないが、まさにこの作品にある音楽を拠り所に、多くの若い演奏家達が引き寄せられ、その後のジャズの方向性に光を灯した。こうして演奏が遺されている限りその光が弱まることは永遠にないと思うが、やはりそれを演出した当人が世を去ったことは、ジャズという音楽にとっては大きな出来事だと思うし、それは明らかに一つの時代の終わりだと思う。残念なことだが。

彼の訃報を知って、僕は自分の(休眠状態であるが)演奏仲間にメールでそのことを知らせた。たまたま翌日にそのなかの一人と川崎市内で飲む約束をしており、酒席の前半はさながらエルビンのお通夜となってしまった。店に音楽はなかったが、下手にジャズがかかっていたりしなかったのが却って幸いだった。それにしても、先にとりあげたリー=モーガンのライブ盤といい、この「ライトハウス」というジャズ・レストランの近所に当時住んでいた人のことを思うと、本当に幸せものだなと思う。あまり過去を羨んでばかりではいけないのだけれど。

Drummerworld Picture Gallary of Elvin Jones エルビンの写真が多数あります
Washington Post紙による訃報
Mosaic Records


5/15/2004

ジョン=コルトレーン「ライブ イン ジャパン」

John Coltrane:  僕にとって一番大切な音楽家は、いまのところ、ジャズ・サックス演奏家のジョン=コルトレーンである。僕の中でこのことはこの20年余のあいだ変わっていないし、たぶん、これから先も変わることはないだろうと思っている。これは、僕にとっての一番いい音楽が、彼の音楽だということとはちょっと意味が違っているかもしれないけど、今回とりあげるこの作品には、他の作品のようにこのログの主旨である「ある日僕が聴いた音楽」という気軽なものとは異なる、深い思い入れがある。もちろん、ここ数日よく聴いている音楽であることには違いないのだけれど。

 僕は、ある音楽家の一生涯の物語とそのほとんどすべての作品を実際に耳で辿るということを、コルトレーンを聴くことではじめて経験した。数十枚にわたる彼の主要な作品をCDや中古レコードで集めるということに、僕の大学生活の少なからずの時間が費やされ、彼の音楽活動や生涯について書かれたものをいろいろと読んだ。なかでも季刊誌「ジャズ批評」のジョン=コルトレーン特集は、本当に隅々まで何度も読んだ。それから20年近い年月が経ったいまも、コルトレーンの音楽を聴くときは、演奏された頃の彼の人生の背景や、そのスタイルの時代的な意味などを考えずにはいられない。

 コルトレーンは1926年に生まれた。10代後半からサックスを吹き始め、早くからプロを志すもいろいろな苦労があり、29歳でマイルス=デイビスのレコーディングに参加することで本格的な活動を始めた。そして1967年に40歳でこの世を去るまで、彼の演奏家としてのキャリアは10数年だったわけだが、そんな彼の音楽には実に4つもの「頂点」があると僕は考えている。「ブルー・トレーン」(1958年)、「ジャイアント・ステップス」(1959年)、「至上の愛」(1963年)、そしてこの「ライブ・イン・ジャパン」(1966年)である。この4つを彼の代表作品と考えることもできるわけだが、それらのスタイルは相当に異なっている。彼はプロの演奏家としての生涯を通じて、自分の音楽のスタイルを追究し、これら頂点に向けてあるスタイルを発展させ、それを破壊し、また次の頂点に向けて新しい創造を行うということを繰り返した。

 そして、コルトレーンは1966年7月、39歳の時に自分のグループを引き連れて初来日を果たした。この作品はそのときに東京で行われた2つのコンサートを、そのままCD4枚にわけて収録したものだ。元々レコード化する予定ではなく、2つの放送局が放送で1回だけ流すことを条件に録音したものだった。従って、録音の状態はモノラルではあるものの非常によい。コルトレーン本人はどの日の演奏がその対象になっているのかは知らなかったらしいが、こうして2日分の演奏がまるごと残されたものを聴くと、そのレベルの高さから、彼がそのことを事前に意識するような人ではなかったことがよくわかる。

 来日時のエピソードは先に紹介した雑誌(いまではバックナンバーというより中古を探すしかないのだが)に、多くのことが詳しく書かれている。到着時に開かれた記者会見で「私は聖者になりたい」と発言し、記者団から何か一曲吹いて欲しいと頼まれると、激しいソロ演奏を何十分にもわたって吹いた。移動中は小さな袋にお菓子をたくさん入れて持ち歩き、新幹線のグリーン車に招き入れた楽器商から琴や尺八を購入した。はじめて触れた尺八を手にしてすぐ音が出たので楽器商が驚いたそうだ。ヤマハの楽器工場を訪問した際には、アルトサックスをプレゼントされて大喜びした(7月22日演奏の「レオ」の一部でその楽器を使っているのを聴くことができる)。前日のコンサートで酒に酔ってステージにあがったベースのジミー=ギャリソンを「今度飲んだらクビだ!」叱り飛ばしもした。そして、常に楽器を携行して暇さえあればそれらを吹いていたのだそうだ。

 当時は、現代のように世界の情報が瞬時に共有されるような時代ではなかった。日本で発売されていた作品は、3つめの頂点である「至上の愛」とそれに続くいくつかの作品までで、彼の新しいスタイルがいわゆるフリージャズのスタイルになっていることを知らない人も多かったという。この演奏に対する評価は現在においても様々であるが、当時これに生で触れることができた人(本当にうらやましい!)の多くが、相当なショックを受けたことは事実のようだ。演奏の途中や終了時に記録されている観客の熱狂ぶりは、当時のことを考えれば相当なものであったことがよくわかる。おとなしいといわれる日本の聴衆だが、この観客の少なからずの人が拍手を贈るだけでなく何やら叫び声をあげている。この数年後に記録され、「ライブ・イン・ジャパン」という言葉を有名にした、ロックグループ、ディープパープルの同名の作品があるが、そこに記録されている観客の熱狂でさえ、これには及ばないのではないかと思えるぐらいだ。(ウソだと思う人で、運良く両方をお持ちの奇特な方は確認してみてください)

 ここで演奏される音楽は、メンバーそれぞれのソロ演奏といい音楽のスタイルといい本当に神懸かった内容である。僕は、ツアー最終日7月22日の最後に演奏された「レオ」をよく聴く(CDには収録時間の関係で、同日の最初に演奏された「ピース・オン・アース」と同じディスクに収録されている)。これは45分程の演奏で、ベースを除く全員のソロ演奏をフィーチャーしながら展開してゆく音楽だが、これだけの長時間演奏を行っても、まったく緊張感が失われることなく、壮大なスケールの劇画の様に展開する音楽は何度聴いても感動ものである。演奏の最後にわきあがる観客の叫び声もただならぬ熱狂を現している(僕はいつもここで泣きそうになる)。それでも、当時の習慣だと思うのだが、コンサートの最後には司会者が登場して、「それでは花束の贈呈です。花束の提供は・・・」と記録されているのも面白く、最後には「ついに2時間10分におよぶ大熱演でありました。皆さんもさぞお疲れになったことでしょう」という大きなお世話のコメントまで入っていて、ここで我に返ることができるのは、制作者の計らいなのかもしれない。

 僕は、会社に入って2、3年目のある時期に少し落ち込んで悩み、夜に自分の部屋で独りで酒を飲みながらいろいろなCDを聴いているうちに、真夜中になってヘッドフォンでこれを聴きはじめ、そのときはじめてこの演奏の素晴らしさを悟ったのだった。その翌日は会社を休んで「うぉー」とバイクで南に向けて走り出したのも思い出す。僕はそのときに確かに何かが得られたような手応えを感じたし、それが何だったのかはうまく言えないが、単なる空元気のような一過性のものではなかったことは、いま考えても間違いない。あの夜を境に僕の中で何かが変わったのである。

 僕は、コルトレーンがプロとして活動しはじめたのと同じ位の年齢で彼の音楽を聴き始め、今年で彼が生涯を閉じた40歳になる。さて、自分がやってきたことについてはというと、いまだに何の頂点もないのが実際である。これから先にも、それができるのかいまのところわからない。あまり考えたくはないが、そう考えるとまったく情けないものだ。あの夜以来、何かの理由で悩んだり、落ち込んだ気分になったとき、僕はひとりでにCDラックにあるこの作品に手を伸ばしてきたが、今回はそのことに気がついて、一瞬さらに輪をかけて落ち込んでしまった。それでもこの演奏を聴くと、それは僕の中いっぱいに流れ込んできて、他のことをすべて押し流してしまった。

 僕は、この演奏をコルトレーンが最後に到達した云々というふうには考えていない。日本を去ったコルトレーンは、また新たなスタイルに向けて創造し始めている記録が残されている。それでもその方向性は、これまでの彼の変遷からしても十分納得のいく自然なものだと僕は思う。意外性などということのかけらもない。そんなものを狙っても意味はないのだ。大げさになってしまうが、やはり人生として音楽を追究した彼の軌跡は、自分の中で高めてゆけるものを持たなければ、どんなことでも強くはなれないことをあらためて教えてくれる。

 やはり、思い入れの強い作品をとりあげるのは難しいものだ。結果的に自分には文章の力があまりないなと思うだけで、いつもと同じような駄文になってしまったが、書き上げるのは思いのほか時間がかかってしまった。これまでの他の作品についてももちろんそうなのだが、もしこの駄文を読んでこの作品に興味をもつ人がいたら、僕はとてもうれしい。簡単な音楽ではないが、できるだけ多くの人に聴いてもらいたいと思う。

John Coltrane 公式サイト(代表作品の試聴や映像もあります)

5/05/2004

ジャック=ディジョネット「第5世界へのアンセム」

  ゴールデンウィークを利用して妻の実家がある広島に行き、そこで4日間にわたっていろいろとお世話いただいた。広島には自動車会社でエンジニアとして勤めている僕の実兄もおり、同じく広島市内に住む義妹と4人で市街での会食を楽しむこともできた。

 広島はご存知の通り、世界遺産にも指定されている原爆ドームとその周辺を取り囲む平和公園が街の中心に位置している。沖縄、長崎とともに日本、いや世界を代表する平和を象徴する街である。平和公園周辺では、海外からの観光客の姿も多く見かける。しかし、別の側面では映画「仁義なき戦い」シリーズに代表される任侠世界の大舞台という一面もあり、そういう目で街を見ると、ちょっと威勢のよさそうな人がみんなその筋の人に見えてきたりして、なかなか不思議な感じがする。

 今回の広島訪問では、妻の家族とともに広島県の隣、山口県岩国市にある名勝「錦帯橋」を案内していただき、橋やその周辺での観光を楽しんだ。恥ずかしながら、僕は米軍基地のある岩国が山口県にあることを知らなかったし、錦帯橋に至っては存在すら知らなかった。最近、大きな改修を終えたばかりという錦帯橋は、日本三名橋といわれるだけあって、全景も橋の作りもなかなか見事なものであった。

 橋の近くの河原でお弁当を広げてのんびりした時間を過ごしていると、上空でジェット機の音がした。見上げると岩国基地を飛び立ったと思われる、米軍戦闘機の姿がはっきりと見え、いやでも昨今の中東での出来事の映像が脳裏をよぎった。目の前には改修を終えた見事な橋と、たくさんの観光客、そして広島名物むさしのおむすび弁当。これが現代の平和な1日だ。いつもの癖で、とっさに耳にわき上がった音楽は、ジャック=ディジョネットの「第5世界のための音楽」だった。

 ジャック=ディジョネットは、僕にとっては最も重要なドラム演奏家である。最近の彼の活動で最も有名なのは、ジャズピアニスト、キース=ジャレット氏とのトリオ演奏活動だろう。彼らの演奏を記録したCDのほとんどを僕は持っており、それがディジョネット氏のドラム演奏の深い魅力を知るきっかけになった。彼のドラムは、リズム演奏という域を遥かに超えて、ドラムで歌ってしまう表現がぴったりなところが大きな魅力だろう。これはもうこの人にしかできない独自の境地である。ある僕の友人は彼のドラム演奏を賞賛を込めて「とにかくヘンなタイコ」と表現した。

 この作品は、ディジョネット氏が「平和」をテーマに取組んだ作品である。目玉は、ロックグループ「リビングカラー」のメンバー2人(ギターのヴァーノン=リードとドラムのウィル=カルホーン)が全面的に参加していることである。他にはディジョネット氏周辺の大所ジャズミュージシャンも参加しているが、内容はほぼロックである。ネイティブアメリカンやアボリジニなど少数民族の文明を反映させた作品が中心で、様々な音楽が融合するエネルギーから平和を実現させようという主旨のものだ。作品にディジョネット氏自身がこんな言葉を寄せている。

 Music is energy, and I feel we need the kind of energy that this recording evokes to create the changes needed to heal ourselves and our environment.

 残念ながら現在は廃盤になっているようだが、別の意味で残念ながら(?)、僕の経験上、大きな中古CD屋さんに行けばかなりの確率でこのCDに出会うことができるのも事実である。大御所ジャズドラマーのアルバムということで飛びついてみたものの、中身がまるでロックなので買ってはみたもののサヨナラということらしい。まあその辺は人それぞれであろうが、僕にとってははじめて聴いた瞬間から、とてもとても大切な音楽になっている。このメンバーでなければ絶対に演奏できない、とにかくどエライ音楽である。ロックかジャズか民族音楽かとかはどうでもいい話である。ディジョネットの「ヘンなタイコ」は1曲目から全開で心地よい。

 それぞれの曲は、よく聴いてみるとリズムやハーモニーはかなり複雑な構成なのだが、そういうことを全く感じさせない素晴らしい「賛歌」に仕上がっている。ディジョネットはシンセサイザーやらヴォーカルまで披露しているが、やはり聴きどころはドラムだと思う。この演奏を聴いていると、「じっとしていたって何も起こらない、とにかく立ち上がらないと何も始まらないよ」というようなメッセージが聴こえてくるような気がする。

 タイトルにある「第5世界」の意味は、ディジョネット氏がこの作品を作るきっかけになったアメリカン・インディアンの詩人トゥワイラ=ニーチの言葉によるもので、「セパレーション(分離)の時代である第4世界は終わり、我々はいまイルミネーション(光)とインテグレーション(統合)の第5世界にいる」というような内容らしい。この光という概念、最近つい忘れがちなように感じるのは僕だけだろうか。どうやら日本は光で溢れてしまったらしい。

 世界は平和を願っている、というのはおそらく間違いない事実だと思いたいのだが、こればかりは総論各論の違いがある意味最も如実に出てしまっているテーマだろう。まあこんなところで僕一人がどうのこうのと言っても仕方がないが、やはり音楽は国境や民族の違いを越えて、人々が理解し合える有効な手段の一つとして、大きな役割があると思いたい。そのためにも、先ずはすべての音楽を尊重して理解しなければはじまらないと思う。偏見はいけない。


Jack DeJohnette
 ジャックディジョネット公式サイト
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