「チベット旅行記」にすぐに続いて読み始めた本を終えた。サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」。
題名になっている定理は、
というものです。詳しくはこちらをご覧ください。
この本は、2年ほど前に仕事で「シンギュラリティ」とかを少しかじった際に、何気に興味を持って買った書籍(お偉いさんに貸したら返ってこなくなった)の関連商品としてアマゾンで薦めらていた。
例によって古書店で手に取ったはいいが、字が小さくて読めないなあと諦めていた。夏にKindle Fireを手に入れていたので、それで読む3冊目の本として購入。
前に読んでいたものと違って現代の日本語でしっかりとした訳なので、内容の面白さと相まってどんどんと読み進んだ。とても面白かった。
僕は昔風にいうと一応文系だけど、数学はそこそこ得意だった。昔の高校課程で数IIbまでは受験対策としてある程度しっかりと身につけたと思う。
40年以上たった今では、微積分と複素数なんかはかなり怪しいけど、それが何であるかの基本は理解しているつもりだ。
数に対する感覚って大事だし、日常生活で一番それが関わってくるのはお金の問題。それも大きく分けて2つの段階があって、日常生活のお買い物だけだど簡単な四則演算のレベルで済むけど、ローンとか資産運用になってくると関数計算の感覚が必要になる。
この間にある壁は意外に高い。表計算ソフトを使いこなせるかどうかの分かれ目に通じるところがあると思う。
しかし四則演算とか二次関数とか基本的な二次元幾何学(台形の面積とか)は、そこらへんの丘を登るようなものであって、チョモランマ級の数学の世界のことは、いまやほとんど誰にも知られていない。例えばこれなんかもその代表例だろう。
僕はこの「不完全性定理」の存在をごく最近まで知らなかったけど、初めてそれを本で読んで知ったときは、年齢に関係ない純粋な好奇心とそれを満足させようと何かを理解しようとする力が、自分のなかにまだ備わっていることに気づかされた。
別の言い方をすると、初めて耳にする素晴らしい音楽を受け入れることができた時のような感覚があった。
数学は「そんなの覚えて何になるの?」で片付けられがちな勉強であるが、非日常のところで猛烈な進化を遂げたことが、今日の科学文明を大きく支えていることは知っておくべきことだと思う。
そんな数学の世界の一端を非常に面白くわかりやすく教えてくれるのがこの作品である。この定理を解いた人物の物語でもあり、同時にこの定理をめぐる数学の歴史をわかりやすくなぞってもくれる。
いろいろな書評には「数学の知識がなくても十分楽しめる」と書かれているが、やはり今日の学習要領でも高校レベルの知識があるのとないのとが、そもそも本書に対して興味を持つかどうかの分かれ目ではないかと思う。
子どもが数学を得意なのかダメなのか、今の時点ではまだ判断はできないけど、やっぱり頭の柔らかい探究的な人間にはなってほしいものだ。何か正しいと言われることのふりをするだけの人にはなって欲しくない。
(おまけ)
子どもの野球練習がなかった土曜日、久しぶりに東京方面に遊びに出かけて、その帰りに子どもが生まれる前に妻と2人でよくお世話になったお寿司屋さんにほぼ10年ぶりに立ち寄った。
お寿司屋さんでウニを食べたのは何年ぶりかなあ。
同い年の店主は僕と同じように少し老けてはいたけど、10年の時を経ても「お久しぶり、ご無沙汰してました」でちゃんと話が通じた。
店内に響く注文を裁く声はしっかりそのまま、事実上の「一見さんお断り」の店内で供される素晴らしい料理とサービスもそのままだった。
子どもも大好きな穴子を食べながら「回るおすし屋さんとぜんせんちがう!」と言いながら、しっかりおかわりしてました(笑)。サイゼリヤの3倍かかりましたが、まあたまにはいいか。
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