11/26/2017

ジョージ・ガーシュウィン「ラプソディ イン ブルー」

あることがきっかけで、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンの"Rhapsody in Blue"にちょいとハマってしまいました。

この曲を日本で有名にしたのは、やっぱり「のだめカンタービレ」のテレビドラマだと思います。もう10年以上前なんですね。僕も視てました。いま思えばテレビドラマをまともに視たのはあれが最後かもなあ。


レナード・バーンスタインとニューヨークフィルによる1976年の演奏。



いわゆる「本家」といってもいいのではないでしょうか。彼とこの演奏が、この曲を世に広めた最大の功労者であることは間違いありません。でもやっぱりクラシックピアノなんですけどね。


中国人ピアニスト、ラン・ランによる、2015年のドイツはドレスデンのジルベスターコンサートで演奏。



豪華な会場でのお祭り気分にあふれた楽しい内容ですが、バーンスタインの演奏をベースにしているものの、こうなっちゃうと...うーん、ちょっと違うかなあって思います。ガーシュウィンの「ブルー」って一体どこ行っちゃったの?って感じかな。


僕がいくつか視たり聴いたりしたなかで一番素晴らしいと思ったのはやっぱりコレ。小澤征爾さんが指揮するベルリンフィルに、なんとジャズピアニスト、マーカス・ロバーツトリオが共演します。2003年ドイツのヴァルトヴューネ野外音楽堂での「ガーシュウィンナイト」のライヴ映像から。



スゴイですよね、コレ!やっぱりこれこそ「ブルー」でしょ、と勝手に納得してしまいます。

マーカスは冒頭のピアノパートから、ベースとドラムを従えてさっさとご機嫌なジャズのアドリブに突入してしまいますが、聴いていて何ら違和感がないんですよね。

ジャムが盛り上がったところで再びオーケストラパートに戻るシーン(5分28秒)、そして再びジャズ演奏に還って行ってカクテルピアノ風に原曲のテーマが現れるシーン(11分9秒)はもう鳥肌ものです!フィルもベルリン・ジャズ・オーケストラと化してます(笑)。

マーカスのピアノは何というか、はっきり言って正確さとかそういう観点ではクラシックピアノとは全く違うピアノです。でも正確無比な演奏にも感銘を受けるものとそうでないものがあります。逆もまた然り。やはり素晴らしい音楽の必要条件とはそう簡単に言えるものでないのでしょう。

お客さんの反応がまた素晴らしいですよね。しっかりジャズを楽しみながら、ガーシュウィンの音楽の素晴らしさを満喫されてます。


この後、ガーシュウィンのピアノ協奏曲がやはりこの編成で演奏され、最後はトリオ演奏でコール・ポーターの"I Got Rhythm"と"Call after MidNight"が披露されたそうです。





今回のマイブームの始まりは、実はジャズピアノの大西順子さんの最近の活動が発端でした。

また活動再開されてるんだなあと思って、ちょっとネットで調べたりしているうちに、彼女のトリオと小澤征爾&サイトウキネンオーケストラによる、以下の演奏映像を知ったのであります。



残念ながらこれはコンプリートではありません。でもこの演奏も素晴らしいですよね!トリオ演奏のパートが順子ワールドに行っちゃってますが、完全版ってあるのかなあ。レジナルド・ヴィール、かっこエエ!男前や!


というわけで、つかの間のピアノタイムでありますが、これもやっぱりエエものですなあ。

ギターはどうなったかというと、またエラい世界に入っちゃってますが、それはまた次回にでも。


11/12/2017

サイモン・シン「フェルマーの最終定理」

「チベット旅行記」にすぐに続いて読み始めた本を終えた。サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」。

題名になっている定理は、

というものです。詳しくはこちらをご覧ください

この本は、2年ほど前に仕事で「シンギュラリティ」とかを少しかじった際に、何気に興味を持って買った書籍(お偉いさんに貸したら返ってこなくなった)の関連商品としてアマゾンで薦めらていた。

例によって古書店で手に取ったはいいが、字が小さくて読めないなあと諦めていた。夏にKindle Fireを手に入れていたので、それで読む3冊目の本として購入。

前に読んでいたものと違って現代の日本語でしっかりとした訳なので、内容の面白さと相まってどんどんと読み進んだ。とても面白かった。

僕は昔風にいうと一応文系だけど、数学はそこそこ得意だった。昔の高校課程で数IIbまでは受験対策としてある程度しっかりと身につけたと思う。

40年以上たった今では、微積分と複素数なんかはかなり怪しいけど、それが何であるかの基本は理解しているつもりだ。

数に対する感覚って大事だし、日常生活で一番それが関わってくるのはお金の問題。それも大きく分けて2つの段階があって、日常生活のお買い物だけだど簡単な四則演算のレベルで済むけど、ローンとか資産運用になってくると関数計算の感覚が必要になる。

この間にある壁は意外に高い。表計算ソフトを使いこなせるかどうかの分かれ目に通じるところがあると思う。

しかし四則演算とか二次関数とか基本的な二次元幾何学(台形の面積とか)は、そこらへんの丘を登るようなものであって、チョモランマ級の数学の世界のことは、いまやほとんど誰にも知られていない。例えばこれなんかもその代表例だろう。

僕はこの「不完全性定理」の存在をごく最近まで知らなかったけど、初めてそれを本で読んで知ったときは、年齢に関係ない純粋な好奇心とそれを満足させようと何かを理解しようとする力が、自分のなかにまだ備わっていることに気づかされた。

別の言い方をすると、初めて耳にする素晴らしい音楽を受け入れることができた時のような感覚があった。

数学は「そんなの覚えて何になるの?」で片付けられがちな勉強であるが、非日常のところで猛烈な進化を遂げたことが、今日の科学文明を大きく支えていることは知っておくべきことだと思う。

そんな数学の世界の一端を非常に面白くわかりやすく教えてくれるのがこの作品である。この定理を解いた人物の物語でもあり、同時にこの定理をめぐる数学の歴史をわかりやすくなぞってもくれる。

いろいろな書評には「数学の知識がなくても十分楽しめる」と書かれているが、やはり今日の学習要領でも高校レベルの知識があるのとないのとが、そもそも本書に対して興味を持つかどうかの分かれ目ではないかと思う。

子どもが数学を得意なのかダメなのか、今の時点ではまだ判断はできないけど、やっぱり頭の柔らかい探究的な人間にはなってほしいものだ。何か正しいと言われることのふりをするだけの人にはなって欲しくない。

(おまけ)

子どもの野球練習がなかった土曜日、久しぶりに東京方面に遊びに出かけて、その帰りに子どもが生まれる前に妻と2人でよくお世話になったお寿司屋さんにほぼ10年ぶりに立ち寄った。


お寿司屋さんでウニを食べたのは何年ぶりかなあ。

同い年の店主は僕と同じように少し老けてはいたけど、10年の時を経ても「お久しぶり、ご無沙汰してました」でちゃんと話が通じた。

店内に響く注文を裁く声はしっかりそのまま、事実上の「一見さんお断り」の店内で供される素晴らしい料理とサービスもそのままだった。

子どもも大好きな穴子を食べながら「回るおすし屋さんとぜんせんちがう!」と言いながら、しっかりおかわりしてました(笑)。サイゼリヤの3倍かかりましたが、まあたまにはいいか。

11/05/2017

メアリ・ハルヴォルソン「メルトフレイム」

横浜DeNAベイスターズの今シーズンが終わり、日本のプロ野球は全ての日程を終えた。

子どもが野球をやるようになって、つられてベイスターズを応援するようになってまる2年が経ったけど、昨年に続いてこんなに野球の素晴らしさを味あわせてもらえたことは、ラッキーだった。

シーズン後半からの動向は、本当に毎回目が離せなかったし、クライマックスシリーズの成り行きは本当に感動的だった。

念願かなって出場した日本シリーズでは、第1戦を視てこりゃ格が違うなあと正直4連敗も覚悟してしまったけど、以降の展開は驚くほどのスリルと興奮の連続だった。

そして昨日の第6戦。長い長い戦いの末に勝敗が決した瞬間は悔しさもあったけど、やっぱり程なくして浮かんだ言葉は「ありがとう」だった。

残念ながら日本シリーズの横浜スタジアムでの観戦は果たせなかったけど、「来年は是非リーグ優勝をしたい」という選手たちの言葉に、また新たな期待をつなぐ想いで暫しのオフシーズンを過ごす。


秋が深まり、週末に限って続いていた天候不順もようやく落ち着いてきた。

子どもの野球練習が流れると週末の過ごし方にも大きく影響する。子どもと居られるのはいいのだが、外に出かけられないのは辛いものである。

僕はゲームとかのデジタルを子どもが楽しむことについてはどんどんやれやれなんだけど、妻はどうも素直には受け入れがたいようで、僕にはちょっと不思議な感じがしている。


音楽は相変わらずギター中心だが、ロック系一辺倒だったのが少しまた戻って、このところはまたフリーミュージックも聴くようになってきている。

ギター中心に聴くようになってから、ジョー・モリスとかデレク・ベイリーなどのフリー系のギターまた聴いてみようかなというなかで、急に浮かんできたのはメアリだった。

以前、聴いたときはこの人の音楽も面白いなという程度だったんだけど、今回もう少し深く彼女の音楽の懐に入っていくことができたように感じている。

昨年発売のソロ作品「メルトフレイム」は、ソロ作品好きの僕にはメアリの音楽を知るには好都合なアルバムだった。

収録された10の作品はいずれもコンポジションであり、彼女のアイデアと個性がしっかりと封入された聴きごたえあるものである。

YouTubeにも彼女のソロパフォーマンスを始め、様々な映像がある。以下はそのひとつで、本日ご紹介しているアルバムに収録の作品も披露されている。



いつも言っていることだけど、こういうものを気軽に楽しめるのは本当にスゴイこと。それが人間に総じて悪い影響を与えるとはとても思えない。

よりよく使うためには、やはり早くからそれを自身の一部にするということだと思う。

文字、数字、絵、写真、音声、音楽、動画などの基本は重要であるが、アナログかデジタルかの問題はそれとは別のところにあるのだと思う。

新旧どのようなメディア(媒体)であっても、それは何かを知り、何かを伝えるためにある。それはあくまでも手段であって、その伝えられることの本質は時を経てもさほど大きくは変わらない。

変わるところがあるとすればそれは深さであり、それはいかにそのメディアに精通しているかということだと思う。