8月最後の暑い月曜日。会社から休みをもらって、単身和歌山に日帰りで行った。父の亡き後、長らく空き家になっていた実家が、人手に渡ることになり、その最終手続きに立ち会う必要があったから。
手続きは、共同所有者の兄と僕、買い手の方、仲介役をしてくれた伯父、そして行政書士の人の5人が集まり、市内の銀行で執り行われた。
契約書の読み合わせなど、時間のかかる手続きは既に終了しており、今日は決済の書類にサインなどをするだけの簡単な内容ばかりだった。
手続きの前に兄と実家に行った。既に家の中にたまっていた家財や周囲の庭木、生垣などはきれいに掃除されていて、部屋の中に長年こびりついた汚ればかりが目立った。
僕がこの家で寝起きしたのは、受験勉強に明け暮れた高校3年生の1年間だけだった。あとは時折帰る実家として25年間お世話になった。
そうは言っても学生時代を中心にいろいろな思い出があるし、何よりも両親の記憶とは切ってもきれない場所だ。
幸いにも付近の分譲地の中では立地的に条件がいいおかげで、中と外を掃除してもらって売物件の看板を出したところ、程なくして複数の買い手が挙がった。
金額含めた交渉ごとはプロである伯父に委ね、ほとんどトントン拍子にことが進んだ。幸いにして、建物を含めた状態での買取を希望いただき、家を壊さずに済んだ。
家が売れたといっても田舎の話であるから、そんな大層な金額にはならないが、建物を壊して更地にせずに済んだおかげで、手続き上の諸費用を差し引いてもいくらかのお金が手元に残った。
それも父なりにこだわってこの土地を手に入れ、しっかりとした家を立ててくれたおかげだろう。感謝しなければならない。
手続きが終わって、兄と2人で駅前の居酒屋「丸万」で昼間から一杯やった。お客は僕らしかいなかった。老舗らしいしっかりした料理が本当に美味しかった。
考えて見れば下宿なども含め、これまで何度も引越しをして来たが、いまも形をとどめている建物は意外に少ないことに気づいた。人の棲家とはそういうものなのだろう。
和歌山にはお墓もあるし両親の兄弟や旧友もいるから、これからも訪れることはあるだろう。しかし、実家があった六十谷で降りることは、おそらくもうないかもしれないなと思った。
同時に、以前から感じていたことではあるが、和歌山が自分にとってもはや「帰る場所」ではなくなったことが、はっきりとした日になった。寂しさもあるが、むしろこれが区切りというものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿