先の週末は仕事を自宅に持ち帰らざるを得なくなり、かといって目を見張る程に作業が進捗したわけでもなく、なんともブルーな時間を過ごしてしまった。おかげでろぐをさぼってしまいました、スイマセン。
結局、そのとき浮かんだアイデアをもとに週明けにバタバタと作業を行い、目的のプレゼンはなんとかお客様に満足いただけたようである。もはや本業とは異なる分野の仕事ではあったが、やはり自分がやりたい仕事にはそちらの方が近いのだということを、あらためて確認した次第。
さて、この週末は土曜日に家族で津久井浜に出かけた。三浦海岸の横須賀市側に位置する浜で、夏は海水浴場としても利用される。今回のお目当ては何かというと「イチゴがり」である。妻のママ友たちが続々と子どもを連れてあちこちで楽しんで来たという報が寄せられ、子どもはいざ知らず妻が行きたがるので、当日の朝にいきなり決めてしまった。
津久井浜観光農園は京急津久井浜駅から徒歩20分くらいのところにある。幸い無料の送迎バスが用意されており、車のない僕らにはありがたかった。
イチゴがりは温室栽培のイチゴを30分間食べ放題というイベント、持ち帰ることはできない。料金は大人ひとりが1500円、うちの子どもはまだ小さいので無料だった。もうそろそろピークを過ぎるらしいが、熟れたイチゴをその場で捥いで食べるのはなかなか楽しかった。別に捥ぎたての新鮮さのようなものは感じられないのだが。
子どもも不思議そうに妻や僕が摘んだイチゴを食べていた(彼は朝ごはんでも食べていたのだが)。
農園内の公園で。とにかく水を見つけると必ず近寄っていく。
農園を出てからはバスで駅まで戻り、駅前のスーパーで食料を調達して、今度は線路の反対側にある海に向かった。
この浜は人が少なくていい場所である。僕は独身時代には秋から春にかけてオートバイでよくここを訪れた。浜で音楽を聴いたり寝そべったりして過ごすのが心地よい。
今回は親子3人で、メンチカツやアメリカンドッグ、里芋の煮っころがしやサラダロール、おにぎり等などをビールを飲みながらのんびりと食べた。浜風に当たりながら飲むビールは格別である。車やバイクで来ていたらこれはできないだろう、うーん。
この日はとても暖かくて本当に気持ちがよかった。こどもを肩車をして波打ち際をいったり来たり(右遠方に見えるのは東電久里浜発電所)
オムツ交換を忘れて遊んでいたら、おしっこが漏れてしまい、しばしズボンと下着を日干しに。彼は帰るまでオムツとTシャツで浜辺を走り回っていた。
子どもは道中の電車やバスでもとてもいい子にしていたので、妻もあまり気を揉むこともなく、のんびりできたようだ。浜でビールも飲めたし、いい休日を過ごせた。
2/13/2011
おしゃべりFMはいらない
日本のFMラジオはいつからおしゃべり中心になったのか。
自宅で食事をする時などちょっとBGMが欲しい時に、わざわざCDをセットしたりiTunesを起動したりするのは煩わしい。そんなとき便利なのがFMラジオだったのだが、僕の住んでいる横浜で聞くことができるFM放送は、NHKを除いては例外なしに音楽が流れている時間よりおしゃべりの時間が圧倒的に長い。
僕が雑誌「FMレコパル」なんかを買って、お目当てのアーチストの新作アルバムエアチェックするのを楽しみにしていた少年時代、民間のFM局でもしっかり音楽を流していた。しかし、結婚してからふたたびお世話になる様になったラジオから流れてくるのは、ほとんどおしゃべりばかりになっていたのは正直驚いた。
以前は、そういったトークや実況はAMラジオ、音楽はFMラジオと役割が分かれていたはずなのだが、最近のFMはスポーツの実況こそないものの、完全にAM放送化している。
聞いていてなにかうんちくがあったり、役に立つ情報があるのならまだいいが、ほとんど聞く価値があるとは思えないタレントのトークやら、もっとひどいのは学生のバイトをつかった街角からの実況とか、そういうものばかり。たまにニュースと天気予報と交通情報、そして音楽が入る。僕にはそんな風に聞こえる。
別に僕の好みの音楽、それこそフリーミュージックとかモダンジャズとかを流せとはいわない。いま流行の音楽、それこそAKBとかAAAとかでいい、しっかりと音楽を流して欲しい。日頃そういうものを聴くことはないから、かえってありがたいくらいである。巷にあふれる多くの出版物もそうだが、どうでもいい放送でのおしゃべりもまったくもって苦痛だ。
おかげでいま重宝しているのはインターネットラジオ。特に最近はiPadのラジオアプリAccuRadioをとても重宝している。このおかげでその時の気分に応じて、ほとんどあらゆるジャンル(それこそフリー系もちゃんとチャンネルがある)の音楽をしっかり楽しめる。
いまではAirPlayのおかげで、iPadからオーディオセットに音を飛ばして出している。音質はFM放送と変わらない、それなりにいい音である。いまこれを書きながら流しているのは、Acoustic Bluesチャンネルだ。さっきまでRobert Johnsonが流れていた。もちろん初耳の音楽でもすぐにアーチストや曲の名前をチェックできる。
こうなってくると、前回の話ではないが、本当に自分で買って手元に置いておきたい音楽を明確にできるし、ブログやSNSなどの情報と並んで、自分のお気に入りの音楽に出会うための手段が広がることにもなる。ありがたいものだ。
ラジオ放送は、音声だけという制限がテレビよりも想像力をかき立ててくれたり、視界を邪魔しないので気楽に向き合えるメディアだと思っていたのだが、こうなってくるともはやラジオには緊急時の情報源というくらいしか思いつく価値がない。
放送という商売でお金があつめられないなら、いっそ止めてしまえばいいのにと思う。電波にはもっと有益で重要な役割があるはずだから。
自宅で食事をする時などちょっとBGMが欲しい時に、わざわざCDをセットしたりiTunesを起動したりするのは煩わしい。そんなとき便利なのがFMラジオだったのだが、僕の住んでいる横浜で聞くことができるFM放送は、NHKを除いては例外なしに音楽が流れている時間よりおしゃべりの時間が圧倒的に長い。
僕が雑誌「FMレコパル」なんかを買って、お目当てのアーチストの新作アルバムエアチェックするのを楽しみにしていた少年時代、民間のFM局でもしっかり音楽を流していた。しかし、結婚してからふたたびお世話になる様になったラジオから流れてくるのは、ほとんどおしゃべりばかりになっていたのは正直驚いた。
以前は、そういったトークや実況はAMラジオ、音楽はFMラジオと役割が分かれていたはずなのだが、最近のFMはスポーツの実況こそないものの、完全にAM放送化している。
聞いていてなにかうんちくがあったり、役に立つ情報があるのならまだいいが、ほとんど聞く価値があるとは思えないタレントのトークやら、もっとひどいのは学生のバイトをつかった街角からの実況とか、そういうものばかり。たまにニュースと天気予報と交通情報、そして音楽が入る。僕にはそんな風に聞こえる。
別に僕の好みの音楽、それこそフリーミュージックとかモダンジャズとかを流せとはいわない。いま流行の音楽、それこそAKBとかAAAとかでいい、しっかりと音楽を流して欲しい。日頃そういうものを聴くことはないから、かえってありがたいくらいである。巷にあふれる多くの出版物もそうだが、どうでもいい放送でのおしゃべりもまったくもって苦痛だ。
おかげでいま重宝しているのはインターネットラジオ。特に最近はiPadのラジオアプリAccuRadioをとても重宝している。このおかげでその時の気分に応じて、ほとんどあらゆるジャンル(それこそフリー系もちゃんとチャンネルがある)の音楽をしっかり楽しめる。
いまではAirPlayのおかげで、iPadからオーディオセットに音を飛ばして出している。音質はFM放送と変わらない、それなりにいい音である。いまこれを書きながら流しているのは、Acoustic Bluesチャンネルだ。さっきまでRobert Johnsonが流れていた。もちろん初耳の音楽でもすぐにアーチストや曲の名前をチェックできる。
こうなってくると、前回の話ではないが、本当に自分で買って手元に置いておきたい音楽を明確にできるし、ブログやSNSなどの情報と並んで、自分のお気に入りの音楽に出会うための手段が広がることにもなる。ありがたいものだ。
ラジオ放送は、音声だけという制限がテレビよりも想像力をかき立ててくれたり、視界を邪魔しないので気楽に向き合えるメディアだと思っていたのだが、こうなってくるともはやラジオには緊急時の情報源というくらいしか思いつく価値がない。
放送という商売でお金があつめられないなら、いっそ止めてしまえばいいのにと思う。電波にはもっと有益で重要な役割があるはずだから。
2/06/2011
フリー アット ラスト
このところ、従来にも増してまたフリー系の音楽を聴いているのだが、どうも今回は、自分の音楽に対する姿勢に大きな変化が起こっていると思う。
これだけ集中して、その手のいろいろなアーティストの演奏を聴いたことはいままでないというくらい。朝晩の通勤電車はもちろん、家に帰って寝る前のひと時もほとんど毎晩である。
フリーインプロビゼーションは以前から好きで、そういう気分になれば折々聴いていた。あまり書くべきことではないかもしれないが、こういう音楽の楽しみ方もここ数年でだいぶん自分のものになってきたし、このろぐでも時折この種の音楽に関する持論として書いてきたつもりだ。
今回、おそらくは先に紹介したヘンリー=グライムスの音楽や、デヴィッドS.ウェアのソロ演奏などを聴く様になって以降、そういう意識がさらに一段深まったように思う。そして最近では自分の音楽に対する感覚が、何か新しい段階に移行したと感じる様になった。
少し大げさに言えば、お前はこの先もうこの手の音楽だけを聴け、というお裁きが出たとしても、それを受け入れてもいいと思えるくらいなのである。
いま聴いている大半はベースによるもので、多くはソロまたはデュオである。デュオといってもベースデュオ、つまり2人のベーシストによるものが中心。かなりマニアックなものであることは認めざるを得ないが、これがかなり面白い。
ピーター=コウォルド、バール=フィリップス、ウィリアム=パーカー、ジョエル=レンドル、吉沢元治、菊地雅晃といったベースプレイヤーたちのソロやデュオアルバム。そこにデヴィッドS.ウェア、デレク=ベイリー、アンソニー=ブラクストン、スティーブ=レイシーといった人たちの音楽が絡んできている。どの演奏も僕のなかでいままで以上に深く、そして身近なところで鳴り響く。
ひとつ強く感じるのは、以前にも増して演奏する側の立場で聴く様になっているということ。ベース作品が中心になっているのはその証だと思う。
特にピーターは、自分の中でとても大きな存在になった。あたかも、若い頃にジャコで始まった僕にとってのベースのアイドルが、十数年前にデイブ(=ホランド)へと移って今日まできていたところへ、ここにきて新たにピーターにその位置を譲り渡したように感じている。
もちろんこれからもいろいろな音楽を聴くには違いないが、僕がいろいろな音楽に向かう際の立ち位置となる領域ーホームジャンルとでも言おうかーそれがいわゆるモダンジャズから「フリーミュージック」に移ってしまったのかもしれない。
ちなみに「フリーミュージック」という言葉は「無料の音楽」と受け取られそうであまり使いたくないのだが、「フリージャズ」や「フリーインプロビゼーション」は僕にとってはちょっと違和感がある。あまりぐだぐだ書いてもしょうがないか。
この状況がいつまで続くかはわからないが、興味の続く限りは自由な音楽の世界を謳歌したい。聴くだけでなく、弾くことにおいても。
これだけ集中して、その手のいろいろなアーティストの演奏を聴いたことはいままでないというくらい。朝晩の通勤電車はもちろん、家に帰って寝る前のひと時もほとんど毎晩である。
フリーインプロビゼーションは以前から好きで、そういう気分になれば折々聴いていた。あまり書くべきことではないかもしれないが、こういう音楽の楽しみ方もここ数年でだいぶん自分のものになってきたし、このろぐでも時折この種の音楽に関する持論として書いてきたつもりだ。
今回、おそらくは先に紹介したヘンリー=グライムスの音楽や、デヴィッドS.ウェアのソロ演奏などを聴く様になって以降、そういう意識がさらに一段深まったように思う。そして最近では自分の音楽に対する感覚が、何か新しい段階に移行したと感じる様になった。
少し大げさに言えば、お前はこの先もうこの手の音楽だけを聴け、というお裁きが出たとしても、それを受け入れてもいいと思えるくらいなのである。
いま聴いている大半はベースによるもので、多くはソロまたはデュオである。デュオといってもベースデュオ、つまり2人のベーシストによるものが中心。かなりマニアックなものであることは認めざるを得ないが、これがかなり面白い。
ピーター=コウォルド、バール=フィリップス、ウィリアム=パーカー、ジョエル=レンドル、吉沢元治、菊地雅晃といったベースプレイヤーたちのソロやデュオアルバム。そこにデヴィッドS.ウェア、デレク=ベイリー、アンソニー=ブラクストン、スティーブ=レイシーといった人たちの音楽が絡んできている。どの演奏も僕のなかでいままで以上に深く、そして身近なところで鳴り響く。
ひとつ強く感じるのは、以前にも増して演奏する側の立場で聴く様になっているということ。ベース作品が中心になっているのはその証だと思う。
特にピーターは、自分の中でとても大きな存在になった。あたかも、若い頃にジャコで始まった僕にとってのベースのアイドルが、十数年前にデイブ(=ホランド)へと移って今日まできていたところへ、ここにきて新たにピーターにその位置を譲り渡したように感じている。
もちろんこれからもいろいろな音楽を聴くには違いないが、僕がいろいろな音楽に向かう際の立ち位置となる領域ーホームジャンルとでも言おうかーそれがいわゆるモダンジャズから「フリーミュージック」に移ってしまったのかもしれない。
ちなみに「フリーミュージック」という言葉は「無料の音楽」と受け取られそうであまり使いたくないのだが、「フリージャズ」や「フリーインプロビゼーション」は僕にとってはちょっと違和感がある。あまりぐだぐだ書いてもしょうがないか。
この状況がいつまで続くかはわからないが、興味の続く限りは自由な音楽の世界を謳歌したい。聴くだけでなく、弾くことにおいても。
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