4/11/2010

.....苦悩に満ちながらも晴朗な波...

「楽園への道」を読んでいると、僕は自然とノーノの音楽を催した。理由はわかっている。フローラ=トリスタンの物語が、労働運動をテーマに欧州と南米という舞台で展開されるから。

ノーノについては以前も少し書いたかもしれない。生い立ちなどについてはウィキペディアなどを参照していただきたい(あまり十分な内容ではないが)。

僕はいわゆる現代音楽もいろいろと聴きかじってきたが、いままでのところでその人の作品をできるだけ多く聴いてみたいという気になるのは、ケージとノーノそれから武満の3人である。

ノーノの作品に関しては、僕は世に出ているCDは8割がた持っている。これで彼の全作品の7割程度はカバーしているはずだ。といっても枚数にしてたかだか10枚程なのだが、それが世間一般の彼に対する評価だと思う。低い評価のようでもあり妥当な評価のようでもある。

この2週間はもっぱら彼の作品を中心に耳を傾ける毎日だった。

ノーノは約半世紀におよぶ音楽家としての人生のうち、最後の10年間を除く期間においてイタリア共産党に在籍し、資本主義やブルジョワ的なものへの反発と告発を作品のテーマにおいて活動した。

そのことが彼の作品にもたらしている特徴はいくつかある。特に声楽による言語メッセージを含んだ作品が多いことや、作品のタイトルに象徴的で強いメッセージをもった言語表現がつけられていることもその現れだ。

今回とりあげた「.....苦悩に満ちながらも晴朗な波...」(原題は".....sofferte onde serene...")というタイトルもいかにもノーノらしい。これは僕の大好きな作品のひとつである。

この音楽は偉大なるピアニスト、マウレッツィオ=ポリーニ夫妻に捧げられたピアノ曲である。あらかじめテープに収録され加工されたポリーニの演奏と、楽譜に記されたピアニストによる生の演奏が、言わばインタープレイとして挑発し合いながら展開するという仕掛けになっている。

なので、本来は生演奏で聴くのが一番いいのだが(もちろんどの様な音楽もそうあるべきだと思う)、僕は残念ながら数少ない機会を逃してしまった(数年前のポリーニ・プロジェクトで2度演奏されている)。しかしCDでもじっくりと聴けば、テープの部分と生の部分は比較的容易に判別できる。

この音楽が持つ独特の緊張と躍動に満ちた美しさには、とてつもなく素晴らしく深い趣がある。現代音楽のピアノ作品として極めて重要なものだと思う。ポリーニ自身は一時期「ある種のジャズ」に興味を持っていたこともあるらしい。そのせいもあってかテープ演奏とのインタープレイはとてもリアルな緊張感に満ちている。

タイトルの意味については、ノーノ自身が語った内容がCDのライナーに記されている。彼が住んでいたヴェネツィアという海の上にある水の街で、様々に鳴り響く鐘をモチーフに人々の生活や思いを表現したものということらしい。それがなぜこの様な音楽になるのか、不可解に思われる人も多いかもしれないが、これがノーノの音楽である。

共産主義と資本主義のどちらが正しいかに対する答えはないが、社会的な実践という面では後者に少しだけ分があった、というのが今日までの状況から言えることだと思う。

ノーノがある時期共産主義に共鳴し、それを創作の原動力としていたことは、政治思想の是非を超えた芸術の世界において非常に好ましい成果をもたらしたといえる。そして社会主義に失望し、より純粋に音の表現に向かうことになった最後の10年間の作品においても、そこに強いメッセージを込めることは変わらなかった。そしてそのことは結果的にさらに素晴らしい作品群を残すことにもつながったと思う。

僕はこの作品以降のノーノの音楽を特に多くの人に薦めたい。

さて、肝心の本作品はいったいどんな音楽なのかと言われれば、それはもう聴くしかないと答えざるを得ない。しかしインターネットのこの時代、この作品全編の演奏映像が、なんとYouTubeに2本に分かれてアップされている。素晴らしいことだ。もちろん音質などの点でこの映像だけでこの作品を判断するのは好ましくないが、興味のある方は是非ともご覧いただきたい。



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