8/20/2006

ザ ジャズ コンポーザーズ オーケストラ

 夏休みの帰省中に放映され録画してあった、関野吉晴氏の「新グレートジャーニー〜日本人の来た道:第一弾」を観た。6月末のろぐで紹介した映画「プージェー」の記憶が新しいところだったが、今回の旅の出発点はモンゴル、そこで彼女の死についての話から物語は始まった。番組の内容については省略するが、それにしても、関野氏の度胸というかバイタリティは凄まじい。比べれば、なんとちっぽけな自分であることか。

今回とりあげる作品は、僕にとっては結構長い付き合いのものだ。はじめて聴いたのは、20年くらい前だろうか。最初に買ったのはLPレコードだった。確か、2枚組で通常の見開きジャケットではなく、そこそこ立派なボックスに入っていた。ただし、中古盤だったので盤面には若干のカビが認められたのを憶えている(それだけに値段も安かったのだと思う)。いまでも音を聴いただけで、あのカビ臭さが鼻によみがえって来る。いまはCD1枚になり、僕はいまでも時折この作品を取り出しては、じっくりと耳を傾ける。

その名の通り、この作品はオーケストラものなのだが、内容はいわゆる「フリー」のジャンルに属するものと観なされている。ある程度ジャズを聴いて来た人なら、ジャケットに記載された豪華な参加メンバーをみただけで、瞬時にそれなりの判断を下すことができることと思う。フリー系なのに、タイトルにある「コンポーザーズ(作曲家)」とは何事か、と気に留める人はもはや少ない。しかし、そこは割と重要なポイントなのである。

このプロジェクトで演奏/収録されている作品は、すべて予めマイケル=マントラーによって書かれたスコアに基づいている。マントラーは(おそらくは)楽曲でフィーチャーするソロプレイヤーを念頭に、楽曲の全体構成とオーケストラアンサンブルを用意したのである。当時使われたスコアの一部は、アルバムのライナーノートとともに収録されている。

オーケストラは管楽器のアンサンブルと、ベース、ドラム、ピアノからなる、いわゆるジャズオーケストラである。ただし、ベースだけはすべての曲で常時5人の演奏者が参加している。ロン=カーター、エディ=ゴメス、チャーリー=ヘイデン、レジー=ワークマン、スティーヴ=スワロウ等々の蒼々たる顔ぶれを見れば、このプロジェクトに託された当時のジャズアーチスト達の意気込みが相当なものであることがわかるだろう。

そして、収録された5つの楽曲に登場するソロプレイヤーは、セシル=テイラー、ドン=チェリー、ラズウェル=ラッド、ファラオ=サンダース、ラリー=コリエルという超豪華版。マントラーが解釈し綿密に作曲した、フリージャズの要素から構成されたアンサンブル演奏の上を、彼等のインプロヴィゼーションが縦横無尽に疾走する。安易な「即興大会」では決して味わうことの出来ない、極上の音楽表現に邂逅することが出来る。

はじめてこの作品に触れる方は、先ずは半ばに収録されている、ファラオをフィーチャーした小作品"Preview"をお聴きになることをお勧めする。そのタイトルが象徴するように、わずか3分半の演奏のなかに、このプロジェクトの音楽的構想のすべてが見事にまとめられている。もはや一切の説明は不要だろう。あとは最初から作品を聴いてみればいいと思う。当たり前だが、その作品も夢の様な素晴らしさに溢れている。

面白いのは、その作品を除く他のすべてのタイトルが"Communications"という名の連番作品になっていること。非常に基本的なことではあるが、単純に「フリー」と呼ばれるだけの軽々しさや安易さではなく、こうした音楽においても、またそうでない音楽においても、集団演奏そのものの根本的な目的や本質が「コミュニケーション(=交感)」にあることを再認識させてくれる。

音楽演奏は、それが何の楽器であれ何のジャンルであれ、すべて常に自分の外に向かって行われるもの。そしてその際、同時に演奏者は自分に向けられる音楽表現に対しても開かれた態度を持っていなければならない、ということだろう。恐らくは、音楽表現に限ったことではないと思うのだが。

ライナーノーツとともに収録された、レコーディング時の写真集もとても興味深い、なかでも有名なのはジャケット裏に掲げられた、セシルが演奏するピアノの譜面台を撮った1枚である。そこに何が置かれているのかは、ここには書かないでおこう。

蒸し暑い毎日が続く。どうか皆様、体調を崩すことなく、毎日の交感を楽しんでいきましょう。

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