短い帰省の合間に、以前活動していたバンド仲間と大阪梅田で再会した。4人全員が会するのは、何年ぶりだろうか。とにかくよく飲みよく語り、結局最後まで一緒だった人とは、夜中の2時まで飲んでいた。外でこんなに遅くまで飲むのも、数年ぶりだと思う。
このところ、各メンバーの仕事や家庭の事情からなかなか活動ができず、自然休止のような状況になっている。今回集まってみても、やはり再開しようという話は盛り上がる。僕個人のことを考えてみれば、仕事の状況は以前よりも忙しくなっている。まあ、それはなんとかなりそうだと思うのだが、楽器の腕はかなり挽回する必要がありそうで、さらに耳だけはどんどん肥えていくので、その辺の割り切りがどこまでできるか心配なところではある。
梅田の街は華やかだった。一時は東京と変わらなくなったかなという気もしたけど、今回訪れてみて、やっぱり違うなあと感じた。自己主張とそのセンスの良さという点では、東京に比べてはるかに活気がある。人々の服装や、お店の内外装、飲み物や料理に至るまで、それなりの主張をしている割合が高いように感じる。僕は好きな街だ。
音楽活動の再開について考え、まあみんなで楽しくわいわいやろうやと、割り切って考えないとなあと思う反面、自分の耳が聴きたいと欲する音楽はそうでないのは辛いところである。今回の作品も、帰省する直前あたりから思い出したように聴き直しているものだが、帰りの新幹線でこれを聴きながら、音楽活動のことを考える自分は、どこかで分裂していた。
チック=コリアは、どちらかというとコンポジションやアレンジメントという意味での、才能が光るアーチストだろう。彼の作品から評して「メロディーメイカー」と呼ぶには、やや失礼かなと思う。かなりしっかりとしたスコアとして作り込まれた音楽のなかに、優れたインプロヴィゼーションを引き出す良質の温床が用意されているのだと思う。演奏者には、複雑なハーモニーやリズムからなるテーマを元にした、アドリブが要求される。
彼の活動の中で最も人気があるのは、おそらく「リターン トゥ フォーエヴァー」と呼ばれる一連のものだろう。だが僕はその作品を1枚も持っていない。楽器、特にピアノやキーボードを演奏する人には、熱烈なファンも多いが、即興演奏の要素が強いものを好む僕自身の耳には、あまり合わないようだ。
今回の作品は、チックがその活動に終止符を打ち、よりモダンジャズの色彩が強いスタイルの音楽を求めるなかで生まれた作品である。タイトルの通り、サックスを中心にしたクゥアルテットを念頭に書かれた、3つの(実際には4つだが)作品が収録されている。僕にとってチック=コリアの最高傑作は未だにこれだ。
マイケル=ブレッカー、エディ=ゴメス、スティーヴ=ガッドにチック本人で構成された、超モダンクゥアルテットに最適化された音楽は、いずれも超強力な内容。アドリブパート以外はかなり細かいスコアが用意されていると思うのだが、そうした枠や制約を一切感じさせず、ひたすら広がりを感じさせる演奏内容は、やはり演奏者達の卓越した力量だろう。
クレジットにはこの作品を完成させるに際して、インスピレーションを与えてくれたアーチストの名前が列挙されているが、マイルスやショーターなどジャズの巨人達に混じって、ベートーベン、バルトーク、ベルクらの名があるのもチックらしい。そしてそこにアンソニー=ブラクストンの名前がないのも.やっぱりそうなんだなあという実感がある。
CD化に際して、このレコーディング時に余興的に演奏された新曲のスケッチなどがオマケで収録されているが、ライナーノートでチック自身が「本編とのギャップがありすぎるので、収録しようかどうか最後まで迷った」と書いてある通り、いま考えてみてもあまり価値のないものである。僕自身は1、2度聴いてみたが、以降これらのトラックを聴くことは無い。
以前、知り合いに音楽好き女性がいて、この作品について面白い話をしてくれた。その人もジャズやクラシックなどいろいろな音楽を聴いていて、一緒に暮らしていた母親も大抵はそういう音楽を一緒に聴いていたらしいのだが、この作品を流すと、決まってその母親が狂ったように「止めてぇ止めてぇ」と懇願したのだそうだ。どうやらブレッカーの咆哮が、お母さんには堪え難かったらしい。まあわかりたくはないが、わからなくはない話だ。
この恐るべき傑作を聴きながら、僕は自分の楽器をじっと見つめてみたが、聴いている間に楽器に手を伸ばすことはなかった。
Chick Corea 公式サイト
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