前回のシェリー・マンを聴いてコールマン・ホーキンスの魅力を再発見して、もう少し彼の音楽を愉しんでみたいと思った。
ホーキンスの作品は数多くある。いまや録音から50年以上を経て様々なボックスやコンピレーションも出回っており、いざ選ぼうとすると非常に困惑してしまう。
こういう時は聴いて気に入った作品と同じ時代、同じレーベルのものを聴くのが無難だろうということで、僕のお気に入りのインパルスレーベルにおけるホーキンスの作品をリーダー作中心に4枚まとめて聴いてみた。
トミー・フラナガンをはじめとする1962年当時のレギュラー・クァルテットによる"Today and Now"。
デューク・エリントンとその仲間たちとのコラボレーション作品である"Duke Ellington Meets Coleman Hawkins"。
自己のクァルテットにギターとパーカッションを加えたボサノヴァ・アルバム"Desafinado"。
そして1965年の作品でピアノにバリー・ハリスを迎えたセクステットによる"Wrapped Tight"である。
はっきり言っていずれの作品も非常に非常に素晴らしい。いままであまり積極的に聴いてこなかったホーキンスの凄さを実感すると同時に、インパルスレーベルのプロデューサであるボブ・シールの仕事にあらためて敬服させられた。
ホーキンスについては、ジャズを聴き始めた学生の頃、ヴァーヴレーベルの「ジェリコの戦い」を買ったのだけど、小生意気にも正直な感想は「なんか古い音楽だなあ」だった。社会人になって初めてコレクションの整理をした際にそれを処分しまい、以来、ホーキンスのリーダー作品は僕の興味の対象から外れてしまった。
しかしこれら4枚の作品で聴かれる音楽に、そういう古臭さは微塵も感じられなかった。最近めっきり敬遠するようになった1950年代かそれ以前のジャズ作品とははっきりと違う洗練された世界があるように感じる。
偏見かもれないが、インパルスの基本デザインである黒とオレンジを基調としたジャケットデザインも相まって、ここにあるのはまぎれもないインパルスの音楽だと感じることができる。レーベルというのは作品やアーチストに大きな影響を及ぼすものなのだろう。
ボブがプロデュースを行う際に、アーチストにどのようなことを伝えていたのかはわからないが、ただ単にその人の過去の作品をレスペクトするだけで「今まで通りでいいよ」ではないことは間違いないと思う。そんなことを考えるうちに、彼のことをもう少し詳しく知りたくなった。
今回の4つの作品は、それぞれに明確なアルバムコンセプトがあるものばかりであり、差し当たってはこの4枚でホーキンスをおさえておくことで、僕には十分納得できるものだった。もちろんこれ以前に彼の傑作と言われるいくつかの作品があることは承知しているけど。
どのアルバムも自信を持ってお勧めできるジャズアルバムです!
(おまけ)
インパルスつながりとするにはやや強引だが(笑)、土曜日に子どもと新横浜のバッティングセンターに行ったあと、キャッチボールをやろうと向かった新横浜公園で、突如、見事な三角形6機編隊で飛来したブルー・インパルス。
グローブを脱ぎ捨てて慌てて撮ったので、シャッターチャンスとしては遅れてしまったけど。なんでも横須賀の防衛大学校の卒業式典に合わせての記念飛行で、この日はその予行演習だったのだそうです。
3/18/2018
3/11/2018
シェリー・マン「2 3 4」
シェリー・マンの"2 3 4"のジャケットが急に頭の中で大きく蘇ってきた。
大学生時代、大阪の中古レコード屋でジャズコーナーを漁っている時、このジャケットはいつも何の予感もなく突然現れた。まるでトランプのジョーカーか麻雀の赤五筒のように。
左半分は煙草をくわえて部屋の隅を凝視するシェリー・マン。オレンジ色の背景の右には彼の名前と、より鮮やかなオレンジ色で不思議なアルバムタイトルの数字が縦に並ぶ。そしてその上には僕の憧れを強烈にもよおすインパルスレーベルの刻印。
中古レコード店での僕とこのジャケットの束の間のにらめっこは、たぶん20回以上は繰り返されただろう。
シェリー・マンはウェストコーストジャズを代表するドラマーである。
これより先に手に入れていた彼の代表作"My Fair Lady"は、アンドレ・プレヴィンの明快なピアノとマンのドラムが絶妙な作品だったが、当時の僕からすれば軽いポップジャズにしか聞こえなかった。
それでもこのジャケットに出くわすごとにこのアルバムの存在は少しずつ僕の印象に刻まれていった。それだけ中古屋の常連盤だったということでもあるわけなのだが。
これを購入したのは、たぶんこれを狙ってお店に行ったのではなく、収穫の寂しさを紛らわせるための半ばのジャケ買い的なことだったのだと思う。
1曲目はエリントンの「A列車で行こう」なのだが、イントロでマンが刻むシンバルはタイトルに反して超スロー。まるでインパルスのもとで何かが規制されているかのように重い。そこにハンク・ジョーンズのピアノが異様な速さであの有名なイントロを流し込んでくる。一度聴いたら忘れられない鮮烈なオープニングだ。
この極わずかに遅れたタイミングでありながら、音の強弱含めてまったくムラのない正確なリズムが、彼のドラミングの醍醐味なのだということを悟ると、以後は耳がそれだけを追うようにアルバム全体を最後まで導いてくれた。
ハンク・ジョーンズとエディ・コスタという2人の対照的なピアノが代わる代わる登場する面白さ。そして深めにエコーをかけたコールマン・ホーキンスのテナーサックスは最高に官能的な音色で魅惑のフレーズを謳う(とりわけ3曲目の"Slowly"は、もう...エッチ!)。
タイトルの3つの数字は、この作品に収録されている曲が、デュオかトリオかクァルテットのいずれかで演奏されていることからつけられたもの。ハンク・ジョーンズのイントロのあとホーキンスとのデュオで展開する終曲"Me and Some Drums"の素晴らしさも格別である。
今回、大学時代からの付き合いであるバンド仲間とLINEでやり取りする中で、突然、ソニー・ロリンズのウェストコーストの代表作"Way out West"の話題が持ち上がり、そういえばあのドラムは...と思ってシェリー・マンの名前を思い出すと同時に、あのジャケットが蘇ってきた。
持っていたLPは社会人になって段階的に売り払ってしまい、お気に入りだったあのジャケットも、CDを含めてもはや手元にはなかった。
ジャケットと共にあのサウンドを想い出して無性に聴きたくなり、これを含むマンの8つのアルバムをひとまとめにしたパッケージが、わすか900円(!)でダウンロード販売されていることを知って、早速手に入れた。
懐かしさと同時にこんなサウンドを30年近く放っていた自分の遍歴を思って、我ながら不思議なもんだなあと感心したりもした。
同じパッケージには"My Fair Lady"の他に、ビル・エヴァンスとの名演"Empathy"を含まれており、花粉に目をこすりながらシェリー・マンに明け暮れた週末となった。
やっぱり素晴らしいサウンド。8枚のアルバムを聴いてみて僕にとっての彼の代表作はやっぱり"2 3 4"だと思った。
なお、このパッケージアルバム"Shelly Manne The Classic Albums Collection 1955-1962"では、その後のCD化等に際して追加されたボーナストラックの類は収録されていない。まあその手の演奏は特に要らないとは思うのだが念のため。
1990年にCDでリリースされた際には、クァルテットによる"Avaron"がボーナスで追加されたようで、これも別のところで聴いてみたところ素晴らしい演奏だった。
このアルバムは、ジャズをほとんど聞いたことがない人でも、気軽にジャズの「大人の」雰囲気を味わえる作品である。シェリー・マンのドラムの妙技と、ジャズの巨人たちのリラックスした玄人技をしばしお楽しみください。
春の訪れとともに、周囲では入学や就職、転職等々いくつかの喜ばしい話題も聞こえてきた。本当におめでとうございます!
大学生時代、大阪の中古レコード屋でジャズコーナーを漁っている時、このジャケットはいつも何の予感もなく突然現れた。まるでトランプのジョーカーか麻雀の赤五筒のように。
左半分は煙草をくわえて部屋の隅を凝視するシェリー・マン。オレンジ色の背景の右には彼の名前と、より鮮やかなオレンジ色で不思議なアルバムタイトルの数字が縦に並ぶ。そしてその上には僕の憧れを強烈にもよおすインパルスレーベルの刻印。
中古レコード店での僕とこのジャケットの束の間のにらめっこは、たぶん20回以上は繰り返されただろう。
シェリー・マンはウェストコーストジャズを代表するドラマーである。
これより先に手に入れていた彼の代表作"My Fair Lady"は、アンドレ・プレヴィンの明快なピアノとマンのドラムが絶妙な作品だったが、当時の僕からすれば軽いポップジャズにしか聞こえなかった。
それでもこのジャケットに出くわすごとにこのアルバムの存在は少しずつ僕の印象に刻まれていった。それだけ中古屋の常連盤だったということでもあるわけなのだが。
これを購入したのは、たぶんこれを狙ってお店に行ったのではなく、収穫の寂しさを紛らわせるための半ばのジャケ買い的なことだったのだと思う。
1曲目はエリントンの「A列車で行こう」なのだが、イントロでマンが刻むシンバルはタイトルに反して超スロー。まるでインパルスのもとで何かが規制されているかのように重い。そこにハンク・ジョーンズのピアノが異様な速さであの有名なイントロを流し込んでくる。一度聴いたら忘れられない鮮烈なオープニングだ。
この極わずかに遅れたタイミングでありながら、音の強弱含めてまったくムラのない正確なリズムが、彼のドラミングの醍醐味なのだということを悟ると、以後は耳がそれだけを追うようにアルバム全体を最後まで導いてくれた。
ハンク・ジョーンズとエディ・コスタという2人の対照的なピアノが代わる代わる登場する面白さ。そして深めにエコーをかけたコールマン・ホーキンスのテナーサックスは最高に官能的な音色で魅惑のフレーズを謳う(とりわけ3曲目の"Slowly"は、もう...エッチ!)。
タイトルの3つの数字は、この作品に収録されている曲が、デュオかトリオかクァルテットのいずれかで演奏されていることからつけられたもの。ハンク・ジョーンズのイントロのあとホーキンスとのデュオで展開する終曲"Me and Some Drums"の素晴らしさも格別である。
今回、大学時代からの付き合いであるバンド仲間とLINEでやり取りする中で、突然、ソニー・ロリンズのウェストコーストの代表作"Way out West"の話題が持ち上がり、そういえばあのドラムは...と思ってシェリー・マンの名前を思い出すと同時に、あのジャケットが蘇ってきた。
持っていたLPは社会人になって段階的に売り払ってしまい、お気に入りだったあのジャケットも、CDを含めてもはや手元にはなかった。
ジャケットと共にあのサウンドを想い出して無性に聴きたくなり、これを含むマンの8つのアルバムをひとまとめにしたパッケージが、わすか900円(!)でダウンロード販売されていることを知って、早速手に入れた。
懐かしさと同時にこんなサウンドを30年近く放っていた自分の遍歴を思って、我ながら不思議なもんだなあと感心したりもした。
同じパッケージには"My Fair Lady"の他に、ビル・エヴァンスとの名演"Empathy"を含まれており、花粉に目をこすりながらシェリー・マンに明け暮れた週末となった。
やっぱり素晴らしいサウンド。8枚のアルバムを聴いてみて僕にとっての彼の代表作はやっぱり"2 3 4"だと思った。
なお、このパッケージアルバム"Shelly Manne The Classic Albums Collection 1955-1962"では、その後のCD化等に際して追加されたボーナストラックの類は収録されていない。まあその手の演奏は特に要らないとは思うのだが念のため。
1990年にCDでリリースされた際には、クァルテットによる"Avaron"がボーナスで追加されたようで、これも別のところで聴いてみたところ素晴らしい演奏だった。
このアルバムは、ジャズをほとんど聞いたことがない人でも、気軽にジャズの「大人の」雰囲気を味わえる作品である。シェリー・マンのドラムの妙技と、ジャズの巨人たちのリラックスした玄人技をしばしお楽しみください。
春の訪れとともに、周囲では入学や就職、転職等々いくつかの喜ばしい話題も聞こえてきた。本当におめでとうございます!
3/05/2018
春の嵐
木曜日に子どもがまた発熱とのことで、まさか今度はインフルエンザA型か?と気を揉んだけど、幸い検査結果は陰性。金曜日は僕が面倒を見るために仕事を休むことにした。
その夜は会社で参加している異業種交流会の横浜有志メンバーの会、通称「野毛の会」があったので、夜だけはそれに参加することに。僕は久しぶりだったけど、和気藹々と楽しい飲み会だった。
週2回のペースで続いてきた飲み会も、この金曜日の会を持ってひとまずおしまい。今月も飲み会はあるけど、今後はまた月に3,4回のペースに戻して行きたい。お金も続かないし、やっぱりお酒にも弱くなったのか身体もいまいち続かないなぁ。
と思っていたら、広島に住む兄からLINEがあり、週末に東京に出てくるので土日のどちらかで呑みましょうとのこと。やれやれこういう時は酒席は続くものだね。
出張にしては技術者の兄が土曜日から東京というのも変だなあと思って、今回の目的を聞いてみたら、なんと4月から東京にあるとある団体に出向することになったとのことで、そのための住まいを探しにきたのだという。これには僕も妻もびっくり。でもちょっぴり羨ましいような気もした。
詳しい話は略すが、2週間ほど前に急に決まったことらしい。まあ本人にとっても晴天の霹靂だったそうで、2〜3年間の関東暮らしを楽しみにしている様子だった。職場は僕の会社にも比較的近いので、またちょくちょく呑みに行くことになりそうだね。
子どもは週末にはすっかり回復して、土曜日曜は野球の練習試合に元気に出かけて行った。楽しく野球をやれればいいとは思うのだけど、やっぱりやるからには、そろそろチーム内でのポジションや役割も打ち出していかないとね。
日曜日は妻も応援とサポートで朝から出かけたので、僕は久しぶりに笑苑さんでラーメンを食べた後は、ワシン坂〜港の見える丘公園〜山下公園〜赤レンガ〜ランドマークプラザ〜日の出町〜横浜橋〜山羊坂と巡る14キロのコースをウォーキング。
暖かくて花粉が爆発的に飛び交うなか、長袖のウィンドジャケットはちょっと暑かったけど、久々にこれだけの距離を無事に歩ききった。終わった後はしっかりストレッチで、いまのところ筋の痛みなどは残っていない。
音楽はエヴァンスやコニッツも聴いているけど、ちょっとまたフリー系のある人物に注目しつつあるところ。その話はまたいずれ。
月曜日に早く帰宅できたので、これを書いてるんだけど、外は春の大嵐であります。
その夜は会社で参加している異業種交流会の横浜有志メンバーの会、通称「野毛の会」があったので、夜だけはそれに参加することに。僕は久しぶりだったけど、和気藹々と楽しい飲み会だった。
週2回のペースで続いてきた飲み会も、この金曜日の会を持ってひとまずおしまい。今月も飲み会はあるけど、今後はまた月に3,4回のペースに戻して行きたい。お金も続かないし、やっぱりお酒にも弱くなったのか身体もいまいち続かないなぁ。
と思っていたら、広島に住む兄からLINEがあり、週末に東京に出てくるので土日のどちらかで呑みましょうとのこと。やれやれこういう時は酒席は続くものだね。
出張にしては技術者の兄が土曜日から東京というのも変だなあと思って、今回の目的を聞いてみたら、なんと4月から東京にあるとある団体に出向することになったとのことで、そのための住まいを探しにきたのだという。これには僕も妻もびっくり。でもちょっぴり羨ましいような気もした。
詳しい話は略すが、2週間ほど前に急に決まったことらしい。まあ本人にとっても晴天の霹靂だったそうで、2〜3年間の関東暮らしを楽しみにしている様子だった。職場は僕の会社にも比較的近いので、またちょくちょく呑みに行くことになりそうだね。
子どもは週末にはすっかり回復して、土曜日曜は野球の練習試合に元気に出かけて行った。楽しく野球をやれればいいとは思うのだけど、やっぱりやるからには、そろそろチーム内でのポジションや役割も打ち出していかないとね。
日曜日は妻も応援とサポートで朝から出かけたので、僕は久しぶりに笑苑さんでラーメンを食べた後は、ワシン坂〜港の見える丘公園〜山下公園〜赤レンガ〜ランドマークプラザ〜日の出町〜横浜橋〜山羊坂と巡る14キロのコースをウォーキング。
暖かくて花粉が爆発的に飛び交うなか、長袖のウィンドジャケットはちょっと暑かったけど、久々にこれだけの距離を無事に歩ききった。終わった後はしっかりストレッチで、いまのところ筋の痛みなどは残っていない。
音楽はエヴァンスやコニッツも聴いているけど、ちょっとまたフリー系のある人物に注目しつつあるところ。その話はまたいずれ。
月曜日に早く帰宅できたので、これを書いてるんだけど、外は春の大嵐であります。
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