なかなかウィルスの出口が見えない状況に加えて、金融市場のいい加減さ(いったい誰の何のためのものなのか?)といってもよい脆さが露呈して、世の中はまだ暗い状況のままである。
それにしても国という括りで捉えてみて状況が実に特徴的かつ様々なのは、単なる偶然なのか、それとも何かその国ごとの固有の理由があるのだろうかと考えてしまう。
ウィルスについては早く医学的な対処法が追いついてくることを望むし、いずれそれは確立されると思う。
一方で人間や社会の脆さは時代とともにその質や性格が変わるだけで、脆さの度合いとでもいうある種の量的なものがあるのだとすれば、それは案外変わらないものなのかもしれないと思う。
困った状況ではあるが、これを機に何らかの意味での世直しや改善が進むことを期待するのは悪いことではない。事態が収束したとき、何もかもが以前のままということはむしろ望むべきではない。
ロビン・ホルコムとウェイン・ホロヴィッツによるソロピアノ演奏をまとめた作品"Solos"が素晴らしい。
タイトルが示す通り、14のピアノソロ演奏が収められているのだが、どの曲をどちらが弾いているのかを聴き分けられる耳はいまの僕にはない。意識しなければ一人の演奏家が弾いていると感じてしまうほど統一されたトーンが貫かれている。
この作品を知ることで僕は初めてロビンのことを知った。そしてしばらく聴き続けてこの作品が気に入ったので少し彼女のことを調べてみて、実は2人が夫婦であることを知った。そこでこのアルバムの謎は素晴らしい魅力に昇華したわけだ。
アルバムが作られることになった経緯と曲紹介は、CDのライナーノートとしてウェイン自身が書いた文章が彼のサイトに掲載されているので、興味ある方はご一読されたい。
3/21/2020
3/08/2020
浦邊雅祥 "Kampanerura"
ウィルスの影響で子どもの学校もお休みとなり僕も在宅勤務を中心とした毎日が続いています。
日本国内での状況はまだ収束に向かっているというには時期尚早という気がしますが、単なる疫病の流行とそれへの対応という次元にとどまらない社会状況が発生していて、ウィルスよりもむしろそちらの方が世の中に大きく影響しています。
ある種の社会不安を逆手にとって、特定の国や自国の政権あるいは政策を揶揄したり、金儲けや愉快を目論んだりする動きが跡を絶ちません。情報社会やメディア社会といわれる現代社会の大きな弱点だと思います。
ウィルスや症状については少しずついろいろなことがわかってきているようですが、インフルエンザでのワクチンや特効薬(タミフルとかリレンザなど)がない状況なので、やはり先ずは感染を避ける行動をすることが最重要です。
しかしここでも、手洗いやうがい、睡眠や栄養といった基本的な健康衛生習慣の励行が叫ばれるなかで、非常時の対策としての外出や人との接触を控えるといったことについては、なかなか普段の習慣を変えられない人が意外なほど多いことがわかります。
さらにはマスクに代表されるように、非感染者が感染を防止する効果がほとんどないと言われている手段を求める人が多いことを見ても、現代社会において科学よりも情報の力が強いことを感じます。科学は客観であって情報は主観です。
望むことではありませんが、状況がさらに悪化する可能性も現時点ではまだ否定できません。状況が収束する方向が見えるにも少なくともまだ一週間以上は時間が必要と思ってます。
一方でこれを機にテレワークのようなワークスタイルや、ネットを介した会話だけでなく体験や取引など含めた様々なコミュニケーションの価値が高まることはよいことだと思います。
一つの例として、ライヴハウスを介した感染例が出てますが、だからと言って今後もライブハウスやコンサートホールでの音楽体験は否定されるべきものではない一方で、ネットワークを介した音楽演奏体験もまた様々な可能性が追求されるべきだと思います。
それぞれに一長一短があることが存在の基本であり、それは時代の様々な要素とともに変化していきます。これまでの自分の生き方だけが世の中の在り様ではないということです。
さて、このような状況の中で(注:「なので」ではなく)久しぶりに素晴らしい即興演奏を楽しみました。それが今回の作品、浦邊雅祥さんの"Kampanerura"です。
素晴らしい音楽ですし、素晴らしい世界観だと思います。技巧よりも音色が表現の中心にあるというのは、ある意味で音楽の本来の姿だなと感じさせられます。
この浦邊雅祥さんという演奏家のことは、実はつい最近までまったく知らなかったのです。夜ウィスキーを飲みながらYouTubeでいろいろ見ている時に、何かの関連動画としてこのアルバムをアップしたものが出てきたのです。
CDは限定生産だったようですが、ちゃんと上記のbandcampのダウンロードで買えます。
他にもいろいろな作品があるようですので、これからちょこちょこと聴いてみたいと思ってます。また新しい楽しみが増えました。
早くいまある疫病の不安が一掃されますように。
日本国内での状況はまだ収束に向かっているというには時期尚早という気がしますが、単なる疫病の流行とそれへの対応という次元にとどまらない社会状況が発生していて、ウィルスよりもむしろそちらの方が世の中に大きく影響しています。
ある種の社会不安を逆手にとって、特定の国や自国の政権あるいは政策を揶揄したり、金儲けや愉快を目論んだりする動きが跡を絶ちません。情報社会やメディア社会といわれる現代社会の大きな弱点だと思います。
ウィルスや症状については少しずついろいろなことがわかってきているようですが、インフルエンザでのワクチンや特効薬(タミフルとかリレンザなど)がない状況なので、やはり先ずは感染を避ける行動をすることが最重要です。
しかしここでも、手洗いやうがい、睡眠や栄養といった基本的な健康衛生習慣の励行が叫ばれるなかで、非常時の対策としての外出や人との接触を控えるといったことについては、なかなか普段の習慣を変えられない人が意外なほど多いことがわかります。
さらにはマスクに代表されるように、非感染者が感染を防止する効果がほとんどないと言われている手段を求める人が多いことを見ても、現代社会において科学よりも情報の力が強いことを感じます。科学は客観であって情報は主観です。
望むことではありませんが、状況がさらに悪化する可能性も現時点ではまだ否定できません。状況が収束する方向が見えるにも少なくともまだ一週間以上は時間が必要と思ってます。
一方でこれを機にテレワークのようなワークスタイルや、ネットを介した会話だけでなく体験や取引など含めた様々なコミュニケーションの価値が高まることはよいことだと思います。
一つの例として、ライヴハウスを介した感染例が出てますが、だからと言って今後もライブハウスやコンサートホールでの音楽体験は否定されるべきものではない一方で、ネットワークを介した音楽演奏体験もまた様々な可能性が追求されるべきだと思います。
それぞれに一長一短があることが存在の基本であり、それは時代の様々な要素とともに変化していきます。これまでの自分の生き方だけが世の中の在り様ではないということです。
さて、このような状況の中で(注:「なので」ではなく)久しぶりに素晴らしい即興演奏を楽しみました。それが今回の作品、浦邊雅祥さんの"Kampanerura"です。
素晴らしい音楽ですし、素晴らしい世界観だと思います。技巧よりも音色が表現の中心にあるというのは、ある意味で音楽の本来の姿だなと感じさせられます。
この浦邊雅祥さんという演奏家のことは、実はつい最近までまったく知らなかったのです。夜ウィスキーを飲みながらYouTubeでいろいろ見ている時に、何かの関連動画としてこのアルバムをアップしたものが出てきたのです。
CDは限定生産だったようですが、ちゃんと上記のbandcampのダウンロードで買えます。
他にもいろいろな作品があるようですので、これからちょこちょこと聴いてみたいと思ってます。また新しい楽しみが増えました。
早くいまある疫病の不安が一掃されますように。
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