2/11/2010

キャッチャー イン ザ ライ

先週買ったJ.D.サリンジャーの"Catcher in the Rye"(村上春樹訳版)を読み終えた。週末から読み始めて、熱海の旅館や通勤電車の中で少しずつ、決して速くはない僕の読書スタイルで着実に進んでいき、それでも祭日だった今日の午前中でようやく物語は完結した。

僕が海外の小説に興味を持った(半分は格好だが)高校生の頃から訳本は出ていて「ライ麦畑でつかまえて」という何とも不思議なタイトルは、興味をそそるには十分だった。だけどなんとなくそのタイトルから、恋愛小説のような内容を勝手に想像していたまま30年が経過してしまった。結果的にそれを読むことになったのは、サリンジャー氏の訃報に触れたことがきっかけだった。

村上が翻訳を手がけたことで大きく話題にはなったのは知っていたが、タイトルが原題をカタカナに置き換えただけのものになっていたことで、ああそう言うタイトルだったのねと思っていた。今回、本を買って読んでみようかと思って、アマゾンのレビューを眺めて思ったのは、どちらの訳がいいかというような議論が出ていて、なんだそういう論争もあるんだなと思った。

僕は村上の作品が好きだったし、新しい訳の方が感覚に合うんじゃないかな程度の思いで、サリンジャーの世界を楽しむ通訳として彼を選んだ。野崎訳を読んでいないことも幸いしてか、そういうことは何も気にならなかった。肝心なのは作者の世界なのだから。

感想としては、とても面白かった。読み始めてすぐ彼ーホールデン=コールフィールドの世界に引き込まれた。何度目かで高校を退学になった16才の少年が過ごした数日間の「物語り」。おそらくは作者自身の個人的体験をもとに書かれているのだと思うが、こういう若い感覚は60年前と意外に変わっていないんだなと思う。草食系だとか、20年前は携帯電話なんかなかったとか、そういうのは表面的な話だ。

主人公ははっきりいってろくでなしだ。何かについて感じるなら、9割がたはこっぴどくけなしてしまわないと気がすまない一方で、表向きは時にとても他人に気を遣う。僕自身はホールデンをろくでなしと思ったが、もちろん魅力的な側面もたくさん持ち合わせている。物語りを通じたほんの短い期間でも彼はちゃんと少しずつ成長している。

小説は個人的なものだからその主人公は常に正当でヒーローである、と考えるのは間違いだろう。ジョン=レノンを射殺した犯人がこの本を所持していたことが話題になったが、なかにはそういう読み方をする人がいるのは不思議ではない(彼が自身をホールデンと重ねていたかどうかは知らないが)。それはパンクロックの歌詞を鵜呑みにして本当にクスリをやるか、それともクスリの代わりにパンクロックを楽しむかの違いの様なものだろう。

ろくでなしと書いたが、僕自身はホールデンに共通する部分は多いと思う。それがまともなのかどうかはわからない。でもだからこそ、僕はこの小説にすっと引き込まれたのだと思う。

それにしても思ったのは、やはりタイトルは原題カタカナの方がいい。それじゃ何のことかわからないよという意見もあるかもしれないが、「ライ麦畑で・・・」は明らかに意訳だし原題の意味を狭めてしまっている様に感じる。

村上自身もタイトルのことでは少々悩んだのではないかと思うが(それが翻訳を手がけるきっかけだったのかもしれない)、ライ麦とは何かということを深く考えなければ(実際にその必要はない)、さほど難しい英語ではないしこうするのがより現代的だと思う。これからは「至上の愛」ではなくて「ア ラヴ サプリーム」、(名訳だとは思うが)「狂気」ではなく「ザ ダーク サイド オヴ ザ ムーン」でいこう。

久々の読書だった。これを機に少し小説を読んでみようかな。

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