NHKで木曜日の深夜放映されている(近々日曜日に変更されるらしいが)「トップランナー」という番組が好きでよく観ている。アートやスポーツなど様々な分野で活躍している人が毎回ゲストに出演するトーク番組だ。世界の大舞台で活躍するスポーツマンの話題はよく見かける一方で、アートの方面はまだまだである(実際日本のスポーツ報道はちょっと過剰ではないかと思えるのだが)。
昨年の秋頃だったか、その番組で振付師の金森穣という人が出演した。僕は彼のことは全く知らなかった。まだ30才とこの世界では非常に若い世代と思うのだが、評価は世界的にもかなりのものらしい。番組中の彼の発言や、振付けのサンプルとして演じられた簡単な実演例を見て、僕は素直に感動し、ショックを受けてしまった。最近、同番組で観たなかで一番印象に残る人だった。彼の公演が6月に新潟と東京で行われるらしいので、興味のある方はチェックしてみてはいかがだろうか。
最近、日本の若いアーチスト(もちろん音楽には限らない)が世界に進出しているのを知るのが、とてもうれしい。一方で、日本=工業製品、ものづくり、そしてそれを支える大和魂体育会的精神論という認識が、当の日本自身からなかなか抜けないように思えるのがとても残念だ。かつての産業の中心であったものづくりの世界は、匠や技の世界が中心で、それはアートの世界に共通していた。しかし、現在の産業(そして政治の世界も)は、手法中心のロジックの世界に陥ってしまい、とても空しい一面がある。ポリシーが長続きしないのだ。右脳左脳という議論ではないが、感性から素直に具現化につながるべきところを、なぜなぜという理屈が邪魔して、本来の力を余計な方に向かわせているように思える。「失敗をおそれず」ということと異なる次元での矛盾がある。もちろん挑戦者もそれなりに相当ハングリーでなければならないことは当然なのだが。
今回のCDは、ドイツのベース奏者、ピーター=コウォルド氏の作品集である。タイトルにもある通り、この作品集は、彼が欧州、米国そして日本の様々な演奏家とサシで共演したものを集めたもので、「2」とあることからもわかるように前作も存在する。
彼らはいわゆる「フリーミュージック」と言われるジャンルの演奏家たちである。おそらく当人たちがそう自称したいわけでは決してないと思う。彼ら自身はみな「音楽家」だと思っているのだが、ではどんな音楽ですかとなると「自由な音楽」ということになる。いわゆる即興演奏(インプロヴィゼーション)なのだが、一般に親しまれている調性(ハ長調とかニ短調など)の音楽に基づいた即興演奏と区別されるために、「フリーインプロヴィゼーション」といわれることが多い。「フリー」とは何からの自由かとなると、音楽の基本3要素と言われる「メロディ」「ハーモニー」「リズム」からの自由ということになるのだろう。あまり面白い説明ではないのでこの程度にしておく。聴けばその意味は簡単に理解できる。
彼らの音楽は明らかにマイナーな存在だが、僕は結構この手の音楽が好きだ。なんでこんな気持ち悪い音楽を聴くのかといわれても、「耳慣れない」「普通と違う」「先が読めない」という感覚を心地悪いと感じるか面白いと感じるか、その違いだけだと思う。その先の「なぜ」にはもはや意味はない。もちろん経済的価値(=ビジネス)がどうのというのは、もはや音楽の目的とは次元が異なる議論だろう。売れないから意味がないという発想は当人たちにはないのだ。
この作品では6名の日本人を含む18名のフリーの大物演奏家がコウォルド氏と共演している。通常、フリーの作品は曲が長い場合も少なくないが、ここに収録されている作品はあえて3〜5分程度に凝縮して演奏されており、その意味ではいろいろな演奏をコンパクトに聴きやすくまとめてくれている。それがこの種の音楽をもっと世の中に紹介したいという、コウォルド氏の意図でもある。とても見事な企画だ。いろいろな楽器(声も含め)にできる表現の追求、という意味では間違いなく彼らはある先端を行っている。そこがこうした音楽の大きな魅力のひとつでもある。
超大御所揃いの海外勢に加え、トランペットの近藤等則氏、尺八の松田惺山氏、トロンボーンの河野雅彦氏、三味線の佐藤通弘氏、琵琶の半田淳子氏、そしてドラムの豊住芳三郎氏と日本勢もすばらしい演奏を披露している。フリーミュージックを聴いてみた方には、おすすめの1枚だと思う。
そんなコウォルド氏だが、実は2002年に亡くなられていたことを、このアルバムを買ってはじめて知った。ご冥福をお祈りする。残念だ。
Free Music Production
Peter Kowald
Peter Stubley氏の"European Free Improvisation Pages"にあるPeter Kowaldのコーナー(コウォルド氏の映像があります(要Quicktime)
金森穣